酒について

先日、仕事で取引先との会食に行きました。

信仰生活を始めてからは、極力そういった場所は避けていたのですが、やはり仕事上すべてを断るわけにはいかず、仕方なく行くことに。

そのような場所に行くと、必ずといっていいほど、なぜ私が酒をやめたのか、という話になります。

信仰生活以前は、普通の人よりも多く、というか、独身のときは仕事帰りに夕飯を食べに行く感覚で飲みに出歩いていたので、その変化に驚き、理由を聞きたがるのです。

病気ではないか? と心配してくれる人もいるのですが、そんなことはない、というと、ではなぜ? といった感じで、他に理由が全く思いつかない、という反応をします。

理由を聞かれたとき、私は「飲むと体調が悪くなるようになった」「長生きしたいから」などといった理由をあげています。

幸い、このご時世、というのもあるのでしょう。私自身が「新人」ではない、というのもあると思いますが、無理やり酒を勧められることはありません。

しかし、まだ「酒を飲んだほうが本音が言えて、親しくなれる」や「酒の席でしか言えないことがある」などと言われることもあります。

確かに酒を飲む人同士でそういったことはあるかもしれません。
私自身、以前はそう考えていました。

しかし、酒を飲まないから、という理由だけで仕事がもらえなくなったり、親しみをもってもらえなくなるのなら、べつにそれはそれでいいかな、という考えに変わりました。

なにより、そこまで仕事のため、売上のために頑張ろうと思わなくなったのです。

確かに生きていく上で仕事は必要ではありますが、だからといって、生きる本当の意味「神様のために生きる」ということを捨ててまで、仕事や売上にしがみつこうとは思わなくなったのです。

酒を飲むということは、信仰生活を捨てるということ。

ほんのひとときの酒の酔の楽しさのために、神様から受けている愛、喜びと希望に満ちた幸せな日々から離れるなんて絶対にしたくない。

「酒を飲まないとやってられない」
「酒だけが唯一の楽しみだからやめられない」
という人がいます。というか、酒の席に行くと、ほとんどの人がそう言います。

でも酒を飲んだところで、現実が変わるかというと、全く変わらない。
ほんの少しの間だけ、現実を忘れることができる、というだけの話です。

もし、酒を飲んで忘れたいほどの辛い現実を根本的に変えられれば
酒になど頼らなくても幸せに生きられれば
一生変わることがないと思える単調な日々を変えられれば
その人たちは酒をやめるかもしれない。

私はラプトブログと出会い、酒をやめました。

イヤイヤやめて、その後我慢したのではなく、心から酒など必要ないと思えたのです。

酒に頼り、それしか楽しみがないと思っている人に、この神様のために生きる喜びというのを知ってもらいたい。

ただし、そのためには私自身がもっと肉的、霊的に成長しなければなりません。今のままでは単に「宗教の話」で終わってしまうからです。

ですから、もっともっと信仰を深め、単に「酒をやめられてすごいね」と言われるのではなく「本当に変わったね、どうしたら君みたいになれるの?」と言われるくらいまでになれたらと思っています。

そうすれば、ラプトブログの凄さ、神様の素晴らしさを説得力を持って伝えることが出来、それが伝道につながる。

今後も日々悔い改め、神様に感謝し、祈り求め、実力がつくよう努力を惜しまず、信仰生活を通して成長していけたらと思います。

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