仕事のミスから悟ったこと

仕事でミスをしました。
日々の業務にはあまりない仕事で、私の確認漏れだったのですが、以前にも何度か同じ仕事をしていたので「知らなかった」「忘れていた」では済まされないようなミスでした。

ミスが発覚した時点では問題にはなっていませんでしたが、もし放置していたら大事になる可能性のあるミスだったので、すぐに対処を試みました。しかし相手がいる問題ですぐに相手と電話でもメールでも連絡も取れず、不安が募ります。さらに言えば、それが、相手が知らずにしたのか、それとも知っていて故意にしたのかも分かりませんでした。それによっても、対処の仕方がだいぶ変わってきます。最悪を想定して行動すべきではありましたが、それにしても悪い方向にばかりに意識が向いてしまい、気持ちは沈んでいってしまいました。

以前、楽観的だった頃の私は、このような時には「まぁいいか、なんとかなる」と投げやりになって適当に考え、余計に状況を悪化させる、といったことが多々ありました。逆に極端に落ち込み、沈んで何もできなくなることも。

しかし、信仰を持ってからは、このような沈んだ気持ちになってしまった時には、すぐに神様に意識を向けて切り替える習慣が出来上がっていました。

この時も「これではいけない。神様に祈り求めて助けてもらおう」と気持ちをすぐに切り替え、神様に意識を向けて心の中で「神様、助けてください。どうか何事もないように事が収まりますように」と祈りました。

すると、次第に落ち着いてきて「大丈夫、なんとかなる」という気持ちになれました。単に楽観的になったのではなく、神様を信じていれば助けてくださるから大丈夫、と心の底から思えたのです。

そのようにしているうちに、相手の方から連絡がありました。そこで(知らずにしたことか、故意があったのかわからなかったので)用件は告げず、お会いしたい旨だけ伝えると、時間と場所を指定してくれました。

その後、私は逸る気持ちを抑えつつも、それでも三十分ほど早く指定の場所に着いてしまったのですが、相手も三十分ほど早く着いていて、結果的にまったく時間のロスなく、会うことができました。

そして、相手に私が見落としたミスについて説明したのですが、相手は知らなかった様子で(故意ではなかった)相手がそのミスを認め、最終的には、ミスを見つけた私に対して、お礼の言葉までいただきました。

事の次第によっては、相手が頑なになって、逆切れする恐れもあった話です。それなのに、拍子抜けしてしまうほど簡単に解決しました。

その後、帰りの車の中で、讃美歌を歌いながら、神様に感謝したのは言うまでもありません。

「信仰生活をしていてよかった」

心からそう思いました。

それから会社に戻り、事後処理をしていたのですが、ふと「なんでこんな初歩的なミスを犯したのだろう?」と不思議に思いました。日々の業務ではないにしろ、前回の時にもその前にも、必ず確認していた事項です。そして大抵の場合は問題がありませんでした。それなのに、今回に限ってその確認を怠り、さらにそれが問題のある事案だった、というのは、どうしても納得がいかなかったのです。

そう考えていると「もしかしたら、神様が私の目をくらまして、それを見落とさせたのかもしれない」という考えが浮かびました。

では、なぜそのようなことに? とさらに考えると、一つ思い当たることがありました。

それは、明け方の祈りについてです。

私は以前、明け方の時間をうまく守れずに悩んでいました。いくらその時間に起きても、途中寝てしまったり、集中できなかったりしていたのです。しかし「歩き祈り」を始めてから、その悩みがなくなり、眠気に襲われることもなく、集中して祈れるようになっていました。

それなのに、ここしばらく、歩き祈りをしていませんでした。理由は、家で深く祈れる日が続いたからです。さらに天候が悪くて歩けない日が続いた、というのも重なり、そうしている内に、歩き祈りが習慣から外れ、外に出なくなってしまいました。

それでも、家で深く祈れる内はよかったのですが、それも次第にできなくなってきました。ですから、歩き祈りに戻らなければ、という思いが常にあったのですが、怠惰な気持から、なかなか行動に移せませんでした。

おそらくこの事だろうな、と思いました。以前より信仰が生ぬるくなっている。それを気づかせるために、このような神様に祈り求めなければならないようなトラブルを起こし、もう一度、以前の気持ちを思い出して悔い改めるように促してくださったのではないか。

いずれにしても、私はそれに気付き悔い改めようと思いました。そして行動する意欲も再びわいてきました。

それからは(天候が悪いとき以外は)歩き祈りをしています。

私は、時折気が抜けて怠惰になってしまいます。しかし、今回のことで、そんな私も神様に見られているのだと意識せずにはいられませんでした。

同時に、ほんの小さなことでも助けてくださるのだから、感謝の気持ちを忘れずに、常に熱い信仰を持ち続けなければ、という気持ちがさらに強くなりました。

今後も熱い信仰を持ち続け、いずれ神様に恩返しができるような使途になれるよう、祈り求めていきたいです。

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