完全に「歩いて祈る派」になりました。
別に派閥があるわけでは無いのですが、当初はクルマで祈りやすい場所まで行って、そこで祈るのが良い、という固定概念があり、クルマで祈り場所を探し求めていました。
しかし、兄弟姉妹の皆様の素晴らしい証を読み、遅ればせながら試しに自分もやってみようと思い立って数日前に始めてみました。そして実際にやってみたら、皆様のおっしゃるとおり、本当に良かった。
歩くほうが深く祈ることができる。長く祈りに集中することができる。眠気が全く襲ってこない。更にプラスアルファで、運動不足解消にもなる。と良いことしかない。
寒さはほとんど気になりません。歩いていれば身体が温まってくるので、顔をなでるピリッとした冷たい空気が心地よいです。
クルマも悪くはないのですが、運転中は歩くのとは違って、運転そのものに気を取られることが多々あります。夜間なので交通量が少なく昼間よりは快適に運転できますが、急に誰かが飛び出してくる可能性もあるので油断できません。帰る頃になると新聞配達の方の粗いバイクの運転も注意しなければなりません。山道も走るので、誰か、ではなく、なにか動物が飛び出てくることも考えられます。実際に路肩をゆっくり歩くイノシシに遭遇しましたし、群れをなした鹿も見ました。道の真ん中に動物の死骸があったこともあり、注意することはたくさんあります。そういった時にはどうしても祈りが中断されてしまう。
歩いているときに気をつけるのは赤信号くらいで、それ以外はずっと神様に意識を向けることができます。これは実際にやって比較してみなければ分からなかったことでした。そして一日二日歩いただけでは違いに気づけなかった。
以前も明け方の時間に山に登って祈ったり、ずっと歩きながら祈ったり、といったことを何度かしていたのですが、その時は週に一度、とか、気の向いた時に、といった感じで、続けてすることはありませんでした。
当然、身体が慣れないせいか、毎回筋肉痛になり、疲労がたまり、翌日に影響が出る、といったことがあったので「毎日はキツイな」という思いがありました。しかし、ここ数日毎日歩いたことで、身体が徐々に慣れてきて、筋肉痛も和らぎ、翌日に疲労が残ることもなくなってきました。
慣れて、習慣化してしまえばこっちのもの。部屋や車内で祈っていたときのように無駄な睡魔との戦いもなく、神様と静かに向き合うことができる。
ただ、今のところ雨が降っていないので、降った時にどうしようかとは思っています。
雨具も一応はあるのですが、長靴で長時間歩くのは大変そう。その時はクルマでも?
自身の勝手なルール作りは、以前の「義務的」な信仰生活に戻りかねない。
私はそれで何度も失敗しています。
ですから、そうならないためにも「これでなければダメ」と自分で勝手に決めつけず、その時その時の状況に応じて、神様に祈り求め、神様にお祈りすることを第一に考えて、臨機応変にやっていこうと思っています。
歩きながら祈ることについての御言葉に感謝すると共に、歩きながら祈ることの素晴らしさを証してくださった兄弟姉妹の皆様にも感謝いたします。