いいことがありました。
私には今年小学校に入学した6歳の息子がいます。
家では学校の支度はなかなかしないし、片付けも何度も言われてからやる、妹には厳しくあたることが多い、どこかで覚えてきた乱暴な言葉を使うことがたまにある、と「大丈夫か?」と思えることが多々あり、正直小学校でしっかりやれているのか心配になります。
そんな中、同じクラスの同級生の子のお母さんから、妻がお礼の言葉をいただいたそうです。
授業中、その子が間違った答えを言ったことがあり、クラスのみんなが笑ったそうなのですが、その時、息子が「だれだってまちがうことはある」と言って、その子の味方になってあげたそうで、その子はとても嬉しかったと言っていたそうです。
その話を妻から聞いたとき、私は涙が出るほど感動しました。というか、少し泣いてしまいました。(寝る前の寝室で聞いたので、暗くてバレませんでしたが)
クラスの皆が笑っているのにそれに同調せず、自分の思ったことをみんなの前で臆することなく発言し、困っている友だちを助けてあげた。
それが本当に嬉しかったのです。
息子に聞いてみると「そんなこともあったような……」と照れくさそうに言っていました。
私は即座に神様に感謝しました。息子を正しい道に導いてくださっている。そう感じたのです。
神様を信じる以前、信仰生活を始める前は、子育てに関してとても悩みました。ただどうしたらいいのか分からない。
〇〇式の教育法を取り入れた幼稚園に入れた方がいい?
習い事は始めるのが早ければ早いほどいい? ピアノ? 英会話? 水泳?
調べれば調べるほど頭が混乱して、何がいいか分からなくなってくる。
そんな時、幼稚園を決める頃に御言葉に出会い、その後信仰生活を始めたのですが、それからは半信半疑ながらも無理に自分で考えることをせず、神様にゆだねるようにしました。
どうか息子を正しい道に導いてください。なにかあったらお守りください。
一時期は、祈りの時間の多くを息子のために費やしました。
幼稚園は自由に遊べるところを選びました。幸い妻とは子供に対する考え方が似ていたので、対立もなくすんなり決まりました。
子育てをしていると、本当にこれが正しいのか? と迷うことがあります。本当に自分の息子は大丈夫なのか? と心配になることがあります。変な友だちに誘惑されて悪の道に進まないか? と不安になることもあります。
しかし、神様にお願いして、祈り求めていれば、そういった不安や心配事も薄れていきます。
神様が守ってくださる。その絶対的な安心感があるため、無駄なことを考えずにすむ。
このことでどれだけ気持ちが楽になるか。
もちろん、基本的なしつけはしていますし、いくら自由だと言ってもダメな事はダメだと教えています。
ただ、自分の力ではどうにもならないことというのがある。
それを神様に祈ってきました。
そして、実際に息子に関して「これは神様に助けてもらった」「神様でなければ出来ない」という経験を幾度となくしていく内に、感謝と共に信仰が深まっていきました。
今回のことも、神様がそのように導いてくださったのだな、と感じています。
親の教育には限界がある。
しかし神様には限界がなく、最善の道を知っておられ、祈り求めれば教え、導いてくださる。
息子が言うように「だれだってまちがうことはある」
神様に出会う前は間違いだらけでした。そしてそれが間違いだと気づいても、では何が正しいのか、ということが分からなかった。
神様に出会い、御言葉に従って、神様に祈り求めることで、間違わずに正しい道を歩めるようになりました。
今後も神様に従い、どんなことでも神様に祈り求め、もしまちがいに気付いたら素直に認めて悔い改め、他人が間違えていたら、笑うのではなく「まちがうことはある」と思って、その人の味方となって、真実を伝えていきたいと思います。