
ハルマゲドンが始まってから、サタンの攻撃がない。
そう御言葉で宣布されているのですが、私にはその変化があまり感じられていませんでした。
そしてラプトさんやエリカさんが話してくださっているような恵みも受けられず、サタンがいないというのが、どのような状態なのかもよく分かりませんでした。
これまで、何かにつけて、信仰生活の妨げとなるようなことがあると、サタンの仕業だ、と考えていたのですが、もしかしたら、そんな考えは単なる「逃げ」で、実際には自身の弱さやサタン的考えから来ていただけなのかもしれない、とも思うようになりました。私など、サタンが邪魔するにも値しない存在だったのではないか、だから私の周りには元々サタンなどいなくて、サタン的な自分がいただけだったのではないか、と。
霊的に鈍感だから、というのもあったのかもしれません。ただ、これだけ信仰生活を続けているのに変化がわからない、というのは、やはり、私はすでに神様から山羊だと見做されてしまったからなのではないか、という思いにも駆られました。
それでも、信仰生活を続けたい、という思いは持ち続けている。
私はなんとかその思いにしがみついて、これまで通り信仰生活を続けている、というのが現状でした。
今朝の明け方の祈りの最中、これまで「霊的に鈍感だから」と自分で勝手に決めつけて、そのことについて、もっと霊的に感じられるよう祈り求めてこなかったではないか、という思いがよぎりました。
確かに私は霊的に感じることを諦めていたように思います。もともと持って生まれた能力ではないから仕方がないのだと思い込み、霊的に敏感になれるよう祈り求めてこなかった。
求めなければ与えられない。
私はそのことに気付き、悔い改めて、霊的に敏感になれるよう、もっと霊を感じることが出来るようになれるよう、祈り求めました。
さすがに祈り求めたからといって、すぐに願いが叶って霊的に敏感になれたわけではありませんが、祈っているうちに、最近の自身の変化に気付きました。
というか、気付かせてくださったのだと思います。
それは「悪夢を見なくなった」ということ。
私はそれまでずっと悪夢に悩まされていました。
罪を犯した夢であったり、見知らぬ土地で迷っていたり、知人に嫌がらせをされたり、といった感じで、起きたときには情景までも鮮明に覚えていて、起きてからしばらくは嫌な気持ちでいることが多くありました。
しかし、それがここ最近なくなっていたのです。
その悪夢が、それまでの私に対するサタンの攻撃だったのかもしれない。
そう考えると、やはりハルマゲドンによって、サタンからの攻撃がなくなったのだ、と思えるようになりました。
更に、それ以外のサタンの攻撃もあったのだけれども、それは霊的に鈍感だから感じなくて済んだだけなのかも、とも思いました。
聖書を読んでいると、王様が夢を見て、預言者たちがそれを解き明かす、という場面がよく出てきます。
本来は、夢も神様が私達に考えを伝えてくださるための方法のひとつなのに、それをずっとサタンによって邪魔されてきたのかもしれない。
そして、サタンの妨害がなくなった今、もしかしたら神様が夢で伝えようとしてくださっていたことを受け取ることが出来るかもしれない。
「24時間神様と疎通しなさい」という御言葉は、寝ている間でも夢で神様と疎通が出来る、という意味なのかも。
今、これを書いていて、ふとそう思いました。
そう考えると、寝ることさえ楽しみになってきます。
今朝の明け方の祈りで、ここ最近感じていた「嫌な感じ」が解消されたように思えます。
自身の成長すべき部分、伸ばすべき部分がわかり、それが実際に神様に祈り求めれば出来る! と思えるのは本当に希望です。
今後は霊的に敏感になれるように祈り求めていきたいです。