不思議な体験をしました。
私は毎日、明け方の祈りを捧げるために、夜中の十二時半に目覚ましをセットして起きているのですが、目が覚めた時点で、その日深く祈れるか、それとも寝てしまう可能性があるか、というのがなんとなく分かります。ただ、歩き祈りを始めてからは、そこまでそのことについて重要視していませんでした。歩いていれば、眠気など関係なく祈れるからです。しかし、ここ数ヶ月は家で祈れるようになりたい、という思いから、再び目が覚めた時の感覚を気にするようになっていました。
昨日の朝、目が覚めた時、スッキリ起き上がれず、眠気が残っている感覚があり、これは深く祈れないかもしれない、祈りの途中で寝てしまうかもしれない、と思いました。ただ、気だるさから、どうしても歩き祈りに行く気になれません。それでも家で祈っていたら途中で必ず寝てしまうだろうから、車でいつもの場所に行こうか、でも車の中で寝てしまうかもしれないな、まぁ家で祈るよりマシか、などと、ウダウダ考えていました。
そして、十中八九、車で行こうと決めていたのですが、その自分の意思とは全く関係なく、自分の身体が勝手に歩き祈りの支度を始め、気がついたら歩き祈りの格好で玄関を出て、歩き始めていました。
自分の意思とは全く関係なく身体が動く、という経験は、覚えている限りではほとんどなく、本当に不思議な感覚でした。
一度外に出てしまえば、ひんやりとした冷たい空気に触れることも出来て、眠気も吹っ飛んでいきます。いつの間にか気だるさもなくなっていたので、いつものルートを普段どおり祈りながら歩いていたのですが、しばらくして急に「そういうことか!」と気付きました。
私は11月11日の祝祭の日、神様に委ねることを悟りました。それまで自力で頑張って変わろうとしていたことを諦め、すべて神様に祈り求めて変えてもらうよう切り替えたのです。
しかしながら、そう決めてもすぐに変えることなど出来ず、寝起きということも相まって、そのように悟ったことにまで意識が及びませんでした。結果、今朝もあーだこーだと自分で考えて、自分の意思で行動しようとしていました。
その私自身の意思を無視して身体が動いたのは、神様がそのようにしてくださったからだ、と気付いたのです。直接的には、私の霊がそうしたのか、それとも天使がそのようにしてくれたのか分かりませんが、とにかく「ほらほら」と言って、見えない力で強引に着替えさせられ、背中を押された感じでした。
祝祭の日に神様に委ねようと思ったことの中には、明け方の祈りについてもありました。たまに祈りの最中に寝てしまうことがあって自分ではどうにもできないから、なんとかならないでしょうか、と。
その私の祈りをすぐに聞いてくださったのだと思いました。
それにしても、こんなにすぐ祈ったことに対して働いてくださる、というのは本当に驚きです。
私はそのことに心から感謝しつつ、更に歩きながら祈りを続けました。
すると、今度は「あなたは卑屈すぎる。自分が恵まれていることに目を向けて、もっともっと神様に感謝しなさい」という言葉が頭に浮かびました。
そこで、卑屈になっていたことを悔い改め、自分は恵まれているのだ、と意識をしてみました。
そうして改めて考えてみると、現時点で、問題や気がかりなことは全くないのだと気づきました。仕事に関して言えば、問題なく順調で、かと言って溺れてしまうほど忙しくもなく、仕事中に証を書いたり聖書を読んだりする時間も確保できています。車で外に出ることも多く、その間に賛美もできますし、神様に意識を向けることもできます。
むしろ、子供達が遊んでくれとせがんでくる休みの日よりも仕事の日のほうが色々と集中して出来るのです。
家庭内もとても良好です。
人間関係においても全く嫌なことがありませんし、周りに嫌だと思う人もほとんどいません。
もちろん、細かいことを突き詰めて考えていくと、大丈夫かな? ということは、多少なりともあります。しかし、それらは大した問題ではなく、更に「神様に祈り求めれば解決してくださるから大丈夫」という気持ちがあるからか、全く気になりません。
今現在、信仰生活に関する悩み以外、私には悩みがなかったのです。
そして今、その信仰生活に関する悩みも解決してくださろうとしている。
それらに気付き、改めて感謝すると、更に喜びに満ち溢れる感覚を味わうことができました。
信仰生活をしていて、本当によかった。
心からそう思っています。
しかし、ここで気を緩めてはいけない。いいことがあると、すぐに浮かれてしまい、肝心なことを見失ってしまう。そしてどんどんズレていってしまう、というのは、私の悪い癖だと自覚しています。
実際、その翌日の今朝の明け方はあまり深く祈ることが出来ませんでした。
ですから、今後も弛むことのないよう、気を引き締めて信仰生活を続けていきたいと思っています。
まずは、毎朝確実に深く祈れるようになり、いずれは家の中でも常に問題なく(眠らずに)祈れるように祈り求めていきたいです。
#RAPTブログ #明け方の祈り #信仰生活