ヤマハの楽器が展示されている工場へ行っていきました。
そこでは楽器を自由に触れることが出来るため、子どもたちはもちろんのこと、私自身も何かしら得るものがあるかもしれない、と思ったからです。
最初はピアノ、そして弦楽器、管楽器などの展示があり、なんとなく触ったり、ちょっと弾いてみたりしたのですが、やはり楽器が出来るといいなぁ、という思いが強くなりました。
私は中学、高校とエレキギターをやっていて、友人たちとバンドを組み、何度かライブをやっていたのですが、その頃の思いが蘇った感じです。
大してうまくはなかったのですが、それでも友人たちと練習を重ね、人の前に立って演奏をする、というのはとても気持ちが良かった感覚を思い出しました。何より楽器を奏でることが楽しかった。
展示場には防音室があり、そこでアンプを使ってエレキギターを演奏出来るようになっていました。そこで昔を思い出しつつ、少し弾いてみようと思いました。
ギターを抱えてピックを持って……
全く弾けませんでした。
ギターをやめたのは高校二年の途中だったと思います。その頃、バンドブームからダンスブームに移り変わるときで、高校の友人と地元のダンスチームに入ったことでギター熱が冷めてしまい、ギターもアンプもその他の機材もすべて後輩にあげてしまいました。
それ以来ですから、三十年弾いてなかったことになります。
それなのに、私はその頃の感覚が残っていたという理由だけで、まだ余裕で弾けると思っていたのです。
ダンスのように体力的に大変になって出来なくなっているものはあるかもしれませんが、ギターのような技術的なものはずっと残るものだと思っていました。
しかし、実際には全く出来なくなっていた。
当然といえば当然です。プロの演奏家でも練習しなければ衰える、と言うのですから。
一日練習しなければ、自分に分かる。二日練習しなければ評論家に分かる。三日練習しなければ聴衆に分かる。アルフレッド・コルトー
(うろ覚えだったので検索しました)
一度習得したものでも、やらなくなれば衰え、やがて出来なくなる。
当たり前のことなのに、これまでそれほど意識したことはありませんでした。そして御言葉を学び、信仰生活を送るようになってからは「習得した技術は死んだあとも持っていける! そしてそれを活かして楽しく過ごせる」という思いから、一度習得してしまえばこっちのもの、といった考えが無意識のうちにあったのかもしれないと思いました。
たとえ一度習得しても、やり続けなければやがて失ってしまう。
御言葉で、続けて行うことの大切さを幾度となく伝えてくださっていたのに、その考えが抜け落ちていました。
そして、ふと「信仰生活ではどうだろうか? 以前出来ていたから今でも出来ると思っていて、実際には、今は全く出来ない事はないか? 以前やっていたのに『もう出来るから』とやらなくなって、出来なくなっているものはないか?」という思いがよぎりました。
点検してみると、すぐにひとつ見つかりました。
それは賛美です。
当初は心を込めて賛美していたため、時に涙があふれることさえあったのに、今は、なんとなく「賛美すればいい」といった感じで、歩き祈りの際に義務的にやっているだけでした。
一度得たものでも、その後やらなくなったり、やっても適当に義務的にやっているようでは、やがて出来なくなってしまう。
実際、最近では賛美して涙することはほとんどありませんでした。
悔い改めなければ。
こうしてほんの少し考えただけで、出来ていないことが出てくるのだから、もっと考えればまだまだ出てくると思われます。
今一度、信仰生活で出来なくなっていないことがないか、しっかりと点検をしなければならない、と思いました。
それにしても、天の音楽とはどのようなものなのでしょうか?
賛美に関しては、インスタでのNanaさんの賛美にて、その美しさを知ることが出来ます。
その素晴らしさにいつも胸を打たれていて、本当に感謝しています。
普段、普通に音楽を聞いていても、これほど感動することはありません。ですから、これこそが天の音楽なのだな、というのがわかります。
もしこのような感動する音楽が常にこの地にあふれかえり、様々な形で、様々な場面で聞くことが出来たら。
今では素晴らしい賛美歌を提供してくださる兄弟姉妹もいますし、ピアノなど楽器に長けている兄弟姉妹もいます。なにより、中心者のラプトさんが音楽に長けているのですから、今後、日常的に天の音楽を体感できる日が来るのは間違いありません。
私ができる事は、すでに音楽の使命者として選ばれている兄弟姉妹、そして今後音楽の使命者として選ばれるであろう兄弟姉妹のために今後より一層強く祈り求めること。
どうか、天の音楽がこの地に広がり、多くの人が音楽から神様を感じることが出来る世の中になりますように。そして常に音楽による感動とともに過ごせる日々が送れますように願っています。