
祝祭の日、私は毎年クルマでドライブするようにしています。今年も休みをとり、一人でドライブに出かけました。
家を出た当初はどこに行くか決めていなかったのですが、東に行こう、という考えが浮かび、それならあの場所を目指そうかな? などと考えつつ、スマホでraptさんの楽曲とナナさんの讃美歌を流し、それに合わせて賛美しながら東へ向かいました。
目的地までは高速道路を使って二時間ちょっと、ただ急いでいるわけではなく、逆に昼食をそこでとりたいとなると少し早く着いてしまうと思い、下道でのんびり行くことにしました。
途中渋滞している箇所もありましたが、賛美しているせいか、全く気になりません。その後、以前行った事のある有名な温泉街を通り抜け、そのまま田舎道を進みました。その先には行ったことがなかったので、どこに出るのだろう? という思いもありましたが、時間に縛られていないという気持ちもあり、どんどん狭くなる山道も「神様と一緒だから大丈夫」と不安にかられることもなく進みました。そしてしばらくすると、大きな車道に出たのですが、右は温泉街へ戻る道だったので、逆の左に行ってみようと思いました。
その時点ではナビをセットしておらず、周辺の地図しか出ていなかったので、どこに向かっているのかわかっていませんでしたが、なぜか「大丈夫だろう」と楽観的になっていました。
そんな中、急に現れた道の駅に吸い込まれるように入りました。運転の疲れもなく、トイレにも行く気はなかったので、不思議に思いつつも、まぁ、ちょうどいい、トイレに行っておくか、などと思って、トイレを済ませ、クルマに戻って、そこで初めて自分がどの辺りにいるのか、ナビで確かめてみました。
すると、驚いたことに、自分の考えていた場所とは全く違う正反対の場所にいて、更に真逆の方向に向かっているのだと気づきました。
私は間違った道を行った際、来た道を戻りたくない、という思いが強く、そのまま行けば、そのうちに軌道修正出来るのではないか、と考えがちです。ただ、今回に限っては、絶対に戻ったほうがよく、そのまま進むと、決めていた目的地には行けません。そこで仕方なく、来た道を戻り、出てきた山道を横目で見ながら、温泉地へと戻ったのでした。
それに関して、なにか意味があるのかな? と考えていると、自身の信仰生活にこのような事はないか、という思いに至りました。間違っているのにもかかわらず自分が正しいと思って疑いもなく進んでしまっていることはないかと。
今回、正しいと思って突き進んでいたとしても、一度立ち止まって確認することの重要性、そして場合によっては間違った場所まで戻ってでも軌道修正すべきだということを気づかせてくださったのではないか、と思いました。そう思った時、ふと聖書の一節を思い出しました。民数記でバラムの乗っていたロバが身をひるがえしたシーンです。
そのようにして神様は間違った道を正してくださるのだ、と思い、改めて感謝しました。
道を間違えたことで昼前に着く予定だった目的地には12時30分に着きました。
祝祭の日は、肉を食べる、と決めています。なぜか良くわかりませんが、とにかく肉を食べてお祝いしようと思っているのです。そこで目的地周辺で肉が食べられるレストランを探したのですが、海岸沿いで魚処にもかかわらず、ステーキが美味しい、というレストランがすぐに見つかりました。
表の看板を見て、少し高いかな? と思ったものの、祝祭の日なのだから、と考え直し、中に入りました。
しかし、中に入ってみると、ものすごく騒々しく、すぐに後悔しました。聞こえてくるのは中国語で、三十人ほどいて、本当にうるさいのです。
表にはクルマが一台停まっているだけで、空いていると思っていたのに。
ただ、店員に誘導されたので帰るわけにもいかず、カウンター席に座りました。
この中でお祝いをしながら昼食をとることになるとは。
そう思いながらオーダーを済ませると、そのタイミングでその中国人の団体が精算をし始めました。そして、あっという間に中国人が全員いなくなり、客が誰もいない状態で驚くほど静かな中、食事をとることができました。
神様が追い払ってくださった!
そう思いました。ただ、それだけではない、とその後気づきました。
あの時、クルマで迷って時間をロスしたのも、このタイミングで着くようにしてくださったからなのかもしれない、と思ったのです。
もし、迷わずに着いていたら、本当にうるさい中、食事をしなければならなかった。更にもし、もう少し遅く着いて、誰もいない中、そのレストランに行ったならば、追い払ってくださった事を知らず、神様に感謝しなかっただろう。
鈍感な私に対して完璧なタイミングで誘導してくださったのだと思うと、本当に感謝しかありませんでした。
神様が共にしてくださるというのは、こういう事なのだ、と改めて気付かされました。
その後、昨年の祝祭の日に海岸に行ったことを思い出し、同じ場所に立ち寄りました。夕暮れ時の海岸で神様に意識を向けつつ、これからも一人でも多くの人がラプトブログによって真実を知り、神様と出会い、神様に愛されていることを知り、神様を愛し、幸せな生を送れるよう、祈りました。