夢を見ました

夢を見ました。

明け方の祈りの時間、いつもよりも少し早めに支度が出来たため、外に行く前に十分だけ家で祈ろうと思い(なぜか私は「あと十分だけ寝よう」とか「あと十分だけ祈ろう」と十分で区切りがちです)机の前に座って祈ったのですが、その短い間に寝てしまって夢を見たのです。

それは、私が夜中に町中を歩いていて、すれ違う人たちを脅かしていく、という夢でした。特別なにか変なことをするわけでもないのですが、ただ脅かしていって、脅かされた人たちは逃げていく、という奇妙な情景を見ていて、ふと目が覚めたときは、なんとも言えない嫌な気分になっていました。

その後、歩き祈りに出たのですが、その夢はなんだったんだろう? という思いが頭から離れませんでした。

そして、しばらく歩きながら祈っていると、夢について、自分自身の日々の行いについて思い当たりました。

陰謀論好きだった私は、以前から友人知人に陰謀論をよく話していました。ラプトブログに出会う前は、嘘か本当か分からないような情報も垂れ流して、おもしろおかしく話していました。ただ、ラプトブログに出会い、ラプト理論を知ってからは、確信をもって話すようになりました。それが逆に怖がらせてしまう結果になってしまっていたのかもしれない、と思ったのです。

理想としては、ラプト理論を交えて陰謀論を話し、ラプトブログへと誘導し、更に有料記事へと誘う、といった道筋なのですが、なかなか思うようにいきません。
まずラプト理論でつまずいてしまう。

最近は友人知人にあまり会う機会もなく、話す機会も減ったのですが、それでもたまに会うと、陰謀論の話になります。(陰謀論といえば私、みたいな風潮が、私の周りの狭い世界ですが、ありました)特にコロナの最中ですから、そのような話になりやすい。

しかし、原発の嘘にしても、天皇の悪事にしても、コロナの嘘にしても、そして最近ではフラットアースにしても、あまりにも一般の常識(テレビからの情報)からかけ離れているため、信じてもらえない。ラプトブログに説明されているよ、と言ってサイトのリンクを送っても、そのサイトを見てさえくれない。見たとしても「そんな考えもあるよね」といった感じで「でも、その嘘が分かったところで、なにか生活が変わるの?」という人もいる。

そんな中で、一生懸命分かってもらうように話すのですが、必死さが伝わってしまうのか、以前の「変わった人」という認識から「ヤバい人」という認識に変わりつつあるのではないか、そして怖くなって逃げてしまっているのではないか、と思うのです。

私が見た夢は、多分、このことかな? と思いました。私は単に「陰謀論」を話して、人を脅かしているだけなのではないかと。

これでは救うべき人を救えない。逆に遠ざけてしまっているかもしれない。そもそも、ラプト理論を伝えるのも重要だけれど、そこから御言葉につなげ、信仰につなげなければ意味がない。

そうして考えると、私は友人知人にラプト理論を伝える時、伝道を念頭において伝えていなかったように思います。単に「凄いこと知ってるね」と思われたいだけで話していたのかもしれない。それはまさに「高慢」であって、救いたいという気持ち、愛からきているものではない。

やはり、私には愛が足りなかったのだな、と思いました。

陰謀論を話すにしても、愛をもって、神様につなげるために伝えるようにしなければ、単に「陰謀論好きなオジサンが話してくれた話、怖かった」という事実だけが残り、御言葉にたどり着く前に逃げて行ってしまう。

今後は陰謀論からの伝道に関して、愛をもって、その人が救われるため、伝道のために伝えるようにしていきたいです。

そしてどのようにしたら上手くいくか、神様に祈り求めようと思っています。

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