神様の考えになればよい

サタンはとことん弱いところを突いてきますね。

今朝も明け方の祈りのために起きる時「今日は起きなくてもいいでしょ」「寒いしもう少し寝ていればいい」「布団の中は暖かくて気持ちいい」などという考えが次から次へと浮かび、起きようとする私を怠惰な道へと誘惑してきました。

(その小さな戦いには勝って、歩き祈りに出ることは出来ました)

まだまだサタンの波長と噛み合ってしまっているのでしょう。長年私に住みついていたサタンを追い出すのは本当に難しい。

そして、私はそのサタンを追い出すためには、もっと霊的に敏感にならなければ、と思っていました。

自身が霊的に鈍感なのは自覚しています。だからこそ長年、罪を犯し続けていても苦しいとそれほど思わなかった。そして信仰生活を始めてからは、霊的に敏感になれればもっと罪に気付けるはずだ、と考えていたのです。霊的に敏感な人への憧れのようなものもありました。見えないものを感じることが出来る能力というのはスゴイ!と。

しかし、その考えがズレていたのだと昨日の御言葉でわかりました。

霊的に敏感にならなくても、神様の考えになれば良い。

私にとって、とても希望的な御言葉でした。長い間信仰生活をしているのにも関わらず、一向に霊的に敏感になれないと思っていたからです。

今後、目指すべきところを修正して、神様が求める「愛」の人になれるよう、四本の信仰の柱をたてていきたいと思います。

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