私はその前日、10日の夜に仕事でミスを犯し、相手の激高に触れ、指を突きつけられて怒られる、という経験をしました。
普段、あまり人の怒りに触れる経験をしていない私は、ショックで暗い気持ちのまま帰宅し、寝床に付きました。
そして祝祭の日の明け方、いつもどおり起きて身支度をし、車を走らせ、いつも祈っている場所に向かったのですが「祝祭の日だし、どこかもっと遠くへ」と思いたち、賛美をしながら、思いつくままに車を走らせました。
次第に前日の嫌な気持ちは晴れ、そのことは頭から離れていったため、賛美に没頭していると、胸が熱くなり、幸せな気分に満ち足りていきました。
その直後、あの怒られた経験には意味があったのではないか、という考えが思い浮かびました。
実際、常に気を付けていることを怠り、更に悪い要素が2,3重なって起こったことで、普段であればありえないミスでした。
そして、そのミスは人によっては全く気にしないようなことでもあったのです。
もしかしたら、あの怒り狂う人を見せることで、ほんの些細な事でも怒ってしまい、ストレスを溜めて、辛い日々を送っている人がいることを私に見せ、こういう人達を救っていかなければいけないよ、と神様が伝えてくださったのではないか、と思いました。
すでに救われている私は、普段ほとんど怒ることもなく、平穏な日々を送ってしまっていて、辛い思いをしている人たちがいることを忘れてしまっている。
しかし、むしろそういう人たちに目を向けて、救いの手を差し伸べてあげなければならない。
以前からそのような御言葉が宣布されていたにも関わらず、真に悟れていませんでした。
祝祭の日に悟ったこの事をしっかりと胸に刻み、多くの人を伝道出来るよう、より一層信仰生活に励んでいきたいと思います。
兄弟姉妹の皆様にも多くの悟りと恵みがもたらされますように。
それによって、より多くの人がラプトブログを知り、神様に出会い、救われますように。
そしてラプトさんを中心に神様の御心が壮大になされますよう、心からお祈りいたします。