大丈夫ではない

私は若い頃、数年海外で生活していました。その間、様々な経験をしたのですが、その中である出来事を思い出しました。

それはその国から日本に一時帰国をして、戻ったときのことです。空港から街の中心地までバスで行き、その後、地下鉄に乗り換えて、住んでいたアパートまで行く予定でした。

それ以前はタクシーを使っていたのですが、すでに一年以上その国で生活してたので慣れもあり「大丈夫」という気持ちがあったのだと思います。飛行機が到着したのが夜だったのにも関わらず、バスと地下鉄という手段をとりました。

バスで街の中心地にまで来た私は、大きなバックパックを背負い、荷物を持ってバスを降りると、地下鉄の駅に行きました。そして階段を降りていったのですが、途中の踊り場で突如4,5人の若者に囲まれ、1人に腕を掴まれました。

一瞬なにが起こったのか分からず、無意識に掴まれた腕を振りほどいたのを覚えています。彼らに何かを言われたのですが、その国の言葉ではなかったので(もしくは相手の発音が極端に悪かったのかもしれません)全く理解が出来ずにいました。しかしその後すぐに、彼らは何もせずにその場から逃げるように立ち去りました。そして、そのあとを追うように警備員が走っていきました。

あっという間の出来事だったので、そのときには、それが何だったのか理解できなかったのですが、少ししてから、自分が物取りに出くわしたのだと気付き、じんわりと恐怖が浸透してきました。同時に、それまでにも数回しか見たことのない地下鉄の警備員が、たまたまあの時間にあの駅にいたというのは、本当に幸運だった、と思いました。

そのことを今になって振り返ると、もしかしたらあの時、神様に助けられたのかもしれない、という思いに駆られます。
まだ神様に出会うずっとずっと前のことですが、あの偶然は出来すぎていました。更に言えば、他にも危険な目に何度となく会いましたが、すべて事なきを得ていました。

神様はずっと私を守っていてくださったのかもしれない。

そう思い、そのことを思い出す度に神様に感謝しています。

今回も急にそのことを思い出し、同じような思いでいたのですが、ふと海外生活は信仰生活と似ているな、という思いが浮かびました。

その国に行ったばかりの頃は希望に満ち溢れていましたが、同時に不安や心配事もたくさんありました。言葉は全くわからず必死で勉強しましたし、文化も全く馴染みがなく戸惑うことばかり。知り合いがほとんどいない中、孤独感にも苛まれました。

それでも日々様々な経験を重ねながら慎重に少しずつ学んでいったように思います。そうしている内にその土地での楽しみ方を知り、有意義な日々を過ごせるようになりました。

RAPTブログの有料記事を読み始め、御言葉に出会い、信仰生活を始めた当初もそのような感覚でした。御言葉で伝えられるそれまで聞いたことのない話にワクワクする反面、全く知らなかった聖書という言語を学ぶのに必死で、さらに馴染みのないキリスト教の世界に戸惑いを感じていました。そして孤独感といった意味では、本当に私のような罪深い者を神様は気にしてくださるのだろうか? 私など相手にされないのではないだろうか? という思いが常にありました。

それでも有料記事にて毎日宣布される御言葉を読み聞きし、それまでの過ちを悔い改めながら、少しずつ学んで行きました。そうしている内に心配事や不安が徐々に取り除かれ、また不思議なしるしなどを経験していく中で信仰が深まっていきました。

異国の地で4,5人の若者に囲まれた出来事を思い出したことで、現在の信仰生活はどうなのか? と改めて考えてみました。

あの時は日々の生活に慣れ「大丈夫」だと思っていた自身の驕りが、あの状態を招いてしまった。自分が単にその場に慣れただけで、周りが変わったわけではない。悪い奴らは変わらずに同じ場所にいたのです。それなのに「大丈夫」だと勝手に思いこんでいて、そのために足元をすくわれそうになりました。下手すると命の危険さえあった。

それと同じで、自分が信仰生活に慣れただけで、サタンは以前も今もいる。むしろ信仰が深まった今は、荷物を以前より多く持っているのだから、サタンに狙われる可能性もあって、いつ4,5人のサタンに囲まれてもおかしくない。もしかしたら、すでにサタンに囲まれているのかもしれない。

大丈夫だと気を緩めていると腕を捕まれ、持っている物を奪われる恐れがある。信仰そのものを奪い取られる危険さえある。

今は、以前に比べれば、信仰自体は深まり、信仰生活も大分良くなったとは思います。しかしあくまでも悪かった以前よりは良くなったというだけで「大丈夫」と思えるようなレベルではありません。

以前よりできているから大丈夫だ、という意識から、日々の信仰生活に慣れてしまって、以前のような危機感を持っておらず、慎重さにも欠け、気が緩んでいたような気がします。

慣れてしまうのは本当に怖い。
大丈夫だと思ってしまうのは本当に怖い。

改めて、そう思いました。

今一度、自身の信仰生活を見直し、自分勝手に「大丈夫」だと考えて驕り高ぶることなく、気を引き締め、常に神様に祈り求める日々を送っていきたいです。

#RAPTブログ #信仰生活 #御言葉

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