いつもと違う場所での祈り

ホテルに宿泊した日の明け方の祈り。

明け方の時間になったので、一人ベッドから起き出して身支度をし、部屋を出てチェックアウト後に目星をつけていた場所への向かいました。
夜中一時近いので、ホテル内は静まり返っています。
以前は夜中のホテルの廊下はなんとなく好きになれませんでした。「シャイニング」という映画を連想していたからかもしれません。
しかし、この日は明け方の祈りが楽しみだったので、誰もいない深夜のホテルの廊下も全く気になりませんでした。

行き先は屋外だったので、防犯上、外に出られないかと思っていましたが、内側からの施錠がしてあっただけで、外に出ることが出来ました。

目指したのは足湯のエリア。

その日は日中暖かかったのですが、まだ春先の深夜ですから外はひんやりと冷たく、薄着だったので寒さを感じました。それでも足湯に浸かるとつま先からじんわり身体が暖まっていきました。
そして、足湯の心地よさを感じつつ、祈りを始めました。

毎日深夜に祈る。

信仰生活をする以前では想像もしなかったことです。そして信仰生活を始めた直後は起きるのも大変で(今でもたまに苦労していますが)なぜこんな時間に祈らなければならないのか、という思いがありました。

しかし、今では誰もが寝静まっていて静かなこの時間だからこそ深く祈れるのだな、ということがわかります。

そして、いつしか「言われたから祈る」のではなく「祈りたいから祈る」という気持ちに変わっていました。
この祈りの時間があることで、充実した日々を送ることができるからです。

以前「祈れば神様が願いを叶えてくれるのだから、祈らなければ損だ」とラプトさんがおっしゃっていましたが、実際に幾度となく祈りによって願いを叶えてもらったという経験によって、本当にそうだなぁ、と実感しています。
特に悩み事に関しては、すぐに答えをくださることが多く、本当にありがたく思っています。

旅先で祈るときというのは、いつもと違った感覚で、なんとなくワクワクします。同時にシッカリと祈れるだろうかという思いもあります。

このホテルではどうかと思っていたのですが、足湯が良かったのか、場所が良かったのか、私の体調が良かったのか、とにかく、とても深く祈ることができました。

しかし、時間が経つにつれて足湯効果が薄れてきたのか、身体が冷えてきてしまいました。そこで室内に戻り、近くのロビーに設置された広いソファで再び祈ることにしました。
なんとも贅沢な祈り方ではありましたが、そこでも深く祈ることが出来ました。

今日は深く祈れた!

時間がある程度過ぎ、そんな充実感を得つつ、そろそろ切り上げよう、と思ったのですが「やっぱりあと少しだけ祈りたいな」と思いがよぎり、時計を見て「じゃ、あと十分」と決めて祈り始めました。

その十分の祈りの最中、不覚にも寝てしまいました。
更にその眠っている間にとても嫌な夢を見ました。今まで行ったことのない知らない土地で経験したことのないような酷い経験をする、という、なんとも後味の悪い夢でした。

最後の最後に寝てしまった。

せっかくそれまで深く祈れていたのに、これでは台無しです。

これまでの御言葉で、幾度となく伝えられた「最後まで行うこと」の重要性。いくら途中まで良くても、最後まで行い切らなければ意味がない。

それを改めて悟らされた気分でした。

その日の祈りすべてが無駄になったとは思いませんが、やはり最後に寝てしまうと残念な気持ちが残ります。

最近、歩き祈りが多いため「途中で寝てしまう」というのはありませんが、クルマで祈る場所に行って祈っていると、急に眠気が襲ってきたり、集中出来なくなったりします。
最後の最後で寝てしまうことも。

そうすると、本当に残念な気持ちになってしまいます。

以前よりは寝てしまうこともだいぶ減り、深く祈れるようにはなってきていますが、まだまだだな、と思いつつ、悔い改め、今後更に明け方の祈りの時間を充実させていきたいと思います。

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