あと数年で100歳になる祖母のところに、コロナのワクチンを優先的に打てる通知が来たようです。それに対し、母は半信半疑で、叔父は打った方がいいと言っていたようですが、祖母は「もういつ死んでもおかしくないし、むしろ早くお迎えが来ないかと待っているのに、わざわざそんなもの打たない」と言って拒否したそうです。

打たなくてよかった、とホッとすると同時に、現実にワクチンを推進しているんだ、と実感しました。

最近はテレビはほとんど観ず、ワイドショーやニュースに至っては全くと言っていいくらい観ていない生活を送っているので、今現在コロナについて、どのようにメディアが伝え、世間一般の人々がどのように感じているのか、というか、上級国民は世間をどのようにしたいのか、どのように人々を洗脳したいのか、といったことに疎くなってしまっていました。

しかし、何度ワクチンの危険性を説明し、そもそもコロナ自体が嘘だから、そのためのワクチンを打つなんて馬鹿げている、と話しても、繰り返し「ワクチンを打つべきか?」と聞いてくる母や、祖母にワクチンを打つよう勧めていた叔父のことを考えると、まだまだマスコミはしつこく不安を煽っているのだな、というのが分かります。

論点もコロナ有りきでワクチンが安全か安全じゃないか、になってしまっていて、根本的な「コロナが嘘」という事実から目をそらされている。おそらく意図的にそうしているのだと思いますが、本当に卑劣です。

ただ、もし私がラプトブログに出会っていなかったらどうだったのだろう? と考えると、今のように気持ちに余裕などなかったのかもしれない、と思いました。

ラプトブログに出会う以前から陰謀論は好きだったので、コロナは嘘、という話にはたどり着いたでしょう。ワクチンの危険性についても知っていたと思います。ただそれらの情報を信じきれたかどうか、となると疑問です。

知識として知ったとしても、それを絶対的に信じてしまえるほど、コロナやワクチンについて語っていたり書き綴っていた陰謀論者達を信じられていなかったと思います。(実際、有名陰謀論者もあちら側と繋がっていたことがラプトブログで暴かれました)そして、様々なことを知れば知るほど混乱し、思考停止になって、実際どうしたらいいんだ? もしかしたら、マスコミの語ることにも一理あるかもしれない、と、最終的にワクチンを打ってしまっていたかも。

有名陰謀論者達には常に胡散臭さがつきまといます。ですから、たとえその陰謀論者が真実を語っていたとしても、それが怪しい、と思ってしまうこともあります。もしかしたらそれが狙いなのかもしれませんが。

そうなると疑心暗鬼になってしまう。

ラプトブログに関してはそのようなことは一切ありません。陰謀を暴いてきた過程、陰謀を暴こうとした動機、原動力、それらを通して得た結論など、すべてをラプトブログ内で知ることが出来、すべてを読めば、それこそが真実だと確信し、疑うことなく、安心してすべてを受け入れることが出来るからです。

いずれにしても、コロナとワクチンに関してだけを考えても、心の平安をもたらしてくれたラプトブログに感謝しかありません。

これをどうやって周りの人に伝えていくか。

単に「コロナは嘘」「ワクチンは危険」と言っても、マスコミを信じ切っている人たちにしてみたら「はいはい、陰謀論、陰謀論」で終わってしまう。
やはり同じ伝えるにしても、知恵が必要だな、と思いました。

一応、母は「ワクチンは危険」だと納得したように思えますが、普段からテレビがついていてワイドショーを垂れ流している部屋で生活しているので、油断は禁物だと思っています。実際「コロナは嘘」という話に関しては信じていないようですし、いつ「やっぱり打つ」と言い出すか分かりません。一緒に住んでいるわけではないので、常に注意しているということもできず、急に思い立って「ワクチン打ってきた」と後から報告を受けることだってありえる。

母の他にも、叔父はおそらくワクチンを打てるようになったら打つでしょうし、友人知人にしても「打てるなら打つ」という考えの人も多いのではないかと思います。

このままでは、ワクチンを打たない人=周りの人のことを考えない無責任な人、という感じになってしまいかねない。現在の、マスクをしない人=周りの人のことを考えない無責任な人、という風潮になってしまったように。

とにかく、真実を知った私自身が出来る限り知恵を使って周りに伝えていくしかない。
同時に、ラプトブログに記されている真実がより多くの人に知れ渡り、コロナの嘘やワクチンの危険が世間一般に認知され、更にコロナウイルスの嘘やワクチンの噓を知っていながらそれらを意図敵に広め、それによって利益を得ている人間が滅びるよう、今後も神様に祈り求めていきたいと思っています。

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