覚悟

私はこの三年間、あることを生かして伝道につなげられたら、との思いで、実力を伸ばそうと努力してきました。それは信仰以前から好きでしていたことで、自分の好きなことをつづけて、それで伝道できたらどんなにいいか、と思いながら。

しかし、それはそんなに生易しいものではない、と気付きました。

神様の名のもとに天の文化芸術を広げる。

それは、ただ単に周りの人に「すごいねぇ」と言われるようなことではなく、日本で「すごいねぇ」と言われる程度でもなく、全世界で「素晴らしい」と言われ、称賛されるレベルまでいかなければならない、ということ。

なぜなら私達の神様は、全世界の人々にとっての神様であって、この世界を創造された方だから。

果たして、私はそのレベルまで到達できるだろうか、と考えたとき、今までのような感じでは到底無理だと思いました。

神様に祈り求めなければならない。それは理解しています。

神様の力を借りれば、不可能ではない。それも理解しています。

なにより、神様の力なしでは、なにも成すことができない。それも理解しています。

しかし、そのためには血のにじむような努力をしなければなりません。そのうえで神様がのぞめば、という話なのです。自身が大した努力もせず、神様だけに頼ったところで、神様は助けてくださらない。
それこそ、すべてを捨ててでも、その事に打ち込まなければ、なされない。
その努力ができるか。その覚悟があるか。

本気で向き合い、全力で努力して、真剣に祈り求めなければ、得ることができない。

それなのに、私は趣味に毛が生えた程度で「楽しい」などと思いながらやっていたのです。

覚悟がなかった。

世界的な実力をつけることがどれほど大変なことか。

それなのに、神様に祈ればなんとかなるかな? などとなめた考えをしていたのです。

それは、たとえ「そんなつもりがなかった」といっても「神様をなめていた」と思われても仕方ない考え方です。

本当に神様に助けてもらいたいのであれば、それなりの努力をしなければならない。当然のことなのに、そんなこともせず、ただ「助けてください」と祈っていたのです。しかもその祈りさえも「義務的」となれば、裁かれて当然です。

やはり、こういったところも、私が信仰生活において、大した恵みを得られなかった要因なのだと思います。

今後、その事についても、しっかりと向き合って考えなければと思っております。

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