やはり、今明け方に祈りに通っている場所を変えたほうがいいのではないか。
最近、そう思うようになってきました。
その場所は、知人が借りている土地で山のふもとなのですが、車道はその先行き止まりのため、夜間はほとんどクルマが来ません。静かで緑におおわれていて、とてもいい場所だと思っていたのですが、深く祈れるのは最初の一時間程度で、その後は眠気に襲われたり、雑念が入ったりで、結局、最近はクルマを走らせて、他の場所をぐるぐるとまわりながら祈るようになっていました。
それまでは自身の信仰の弱さからなのだと思っていましたが、それだけではないのかもしれない、と思うようになりました。
その土地を借りている知人は、普段あまり接することが無いのですが、以前、なにかしらの仏教(名前は覚えていません)を信じていると言っていました。創価学会ではなかったのですが、それはそれで珍しいな、という感じでした。創価学会信者はたまにいました。中学のころのクラスメイトにもいましたし、会社にもいました。しかしそれ以外の宗教の人とは接点がなく、もし家に仏壇があってお墓が○○宗のお寺だとしても、いちいち「仏教を」とは言わないと思うので、なんだろう? という気にはなっていたのです。
とにかく仏教=悪魔崇拝なので↓
仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。
https://rapt-neo.com/?p=26306
その彼がその「仏教」を意識して拝んでいるのであれば、それは私が信じる神様と相対するものなのだから、そんな人の借りている土地で祈るべきではない、と今更ながら考えるようになりました。
当初は、その場所はとてもいいところだったし、借りている彼が何を信じようと関係ない、逆にいい場所に変えてやろう、という気持ちもあったのですが、いつまで経っても深く祈ることができないので、もしかしたら、その彼の「仏教」が自身に影響をもたらしているのかもしれない、逆にそちらがわに引きずり込まれているのかもしれない、と思うようになったのです。
そんな場所に、わざわざ行かなくてもいいのでは? となれば、他の場所を探すしかありません。
ということで、祈りながらクルマを走らせて、これからの場所を決めたいと思っています。
それにしても、この世は本当に悪魔崇拝だらけ。
そして、大半の日本人はそれを知らずに拝んでいる。
創価信者のような意図的に悪事を行っている奴らに関しては、徹底的に滅びを祈りますが、何も知らずに悪魔を拝まされている人達には、その真実を知ってもらいたい。
そして神様の存在を知り、神様の愛を知ってほしいと祈っています。