「みんな死ぬなら、自分がそうなってもそれはそれでいいかなって思うけどね」
先日、知人と会食をした時に言われた言葉です。
その日は仕事がらみの会合があり、十数人が集まりました。コロナの影響で実際に会うのは久しぶりだったのですが、皆、気の知れた仲ということで、久々の再会に喜びつつ、終始穏やかに進行していきました。
そして雑談でワクチン接種の話題に。
皆、30代~40代なのですが、話を聞いていると、私以外は全員がワクチン接種済みで、その8割が二度目も終えていました。そして、副反応がどうだったか、何度熱が出た、○○時間後に来た、などと、それぞれ話し合って盛り上がっていました。
そんな中で私にも話がふられたのですが、私は「打ってないし、今後も絶対に打たないよ」と話しました。「危険だと思っているからね」と。
元々私は皆から「ちょっと変わった人」と見られていたため「やっぱりそっち派か」といった反応だけでしたが、やはり、唯一私だけが打っていない、ということで、少し居心地の悪い感覚がありました。
その後解散となって、親しい人数人と会食に行ったのですが、そこで私はワクチンの危険性について話しました。皆すでに打ってしまっているので、不安な気持ちにさせるだけだとは思ったのですが、打てば打つほどリスクが高まるということなので、これ以上打たないでほしい、という思いがあってのことでした。そして、まだ打っていない人に接種を勧めないで欲しい、という思いも。
その会話の中で、数年後に死ぬかもしれないよ、という話をした時に「みんな死ぬなら…」と言われたのです。
その言葉は以前も聞いたことがあります。それは母親にコロナワクチンの話をしたときです。母親も同じような事を言っていました。ただ、母親は高齢なので、そう考えてしまっても仕方ないかな、という思いがありました。
しかし、40代で子供も小さく、まだまだこれから、という知人から、そのような言葉を聞くとは思いませんでした。
それでも、今振り返ってみると、その場では悲観的な話が多かったように思います。特に今はコロナ禍で夜飲みに出歩くこともなくなり、仕事と家の往復で、家に帰ったら食事をして風呂に入って寝るだけ。唯一、テレビを見ながらビールを飲んでそのまま寝落ちするのが幸せだ、と話していました。それ以外でも奥様の不満を言ったり、子育ての悩みを打ち明けたり。同席していたもう一人の友人も同じような論調で、口調は明るいのですが、内容は今後の未来に希望を持てていない。
お金に困っている様子はあまり無いようでしたが、大した楽しみもなく、日々の生活において細かい不満が募り、それを発散する手立てもなく、未来に対する漠然とした不安を抱えたまま、ただただ毎日を消化しているだけ、といった彼らの日常がうかがえました。
それではすべてがどうでも良くなって「死んでもいいや」と自暴自棄になってしまうのも仕方がないのかもな、と思ってしまいます。
ラプトブログに出会っていなかったら、私も同じようになっていただろうな。
その時、そう思いました。
今、どれだけワクチンを打つべきだと言われても、どれだけ周りの人がワクチンを打っても「絶対に打たない」という強い意志を持っていられるのは、ラプトブログのおかげです。
ラプトブログにてワクチンを打たせようとしているヤツラがどれだけの悪かを学ぶことが出来たおかげで、本当にワクチンが危険なのだと理解出来たのです。
そして悲観的な考えに埋め尽くされたこの世の中で、どのように日々を過ごしていけば、未来に希望を持つことが出来るか、何をどう目指せば自身が成長出来るのかをラプトブログで学びました。
毎日やるべきこと、やりたいことがあり、絶対に死にたくない、という思いを持ち続けられるのは、有料記事や朝会の配信でラプトさんが伝えてくださっている御言葉のおかげです。
本当にラプトブログに出会えてよかった。
ラプトブログの有料記事に聞き従っていてよかった。
ただ、そこまで友人知人に伝えることが出来なかった。だからこそ安易にワクチンを打ってしまったのだと思います。
実際今回会食をした中の一人には、以前からコロナワクチンの危険性を伝えていました。それ以前にコロナは嘘だということも伝えていました。ラプトブログについても、幾度となく伝えていました。それでも伝道は出来ておらず、そうしている内に、いつの間にか二回の接種を終えてしまっていました。
真の意味で救うためには、やはり伝道することが重要なのだと痛感しています。
伝道出来ていれば、それらの友人知人が救われたかもしれない。そう思うとやはり悔やんでしまします。
ただ悔やんでばかりいても、前に進めない。
これまでの経験を踏まえて、もう一歩踏み込んで、まだワクチンを打っていない人が「絶対に打たない!」と思えるようになるためにも、ワクチンの危険性を突破口にして、ラプトブログを伝え、伝道につなげていきたいと思っています。
そして、多くの人を救うためにも、天の文化芸術を広められる実力を身につけられるよう努力を続けたいです。
ラプトブログに記されている御言葉が多くの人に伝わるよう心から祈り求めます。