聖霊様の愛を理解する

このところ、私は海外の友人知人に伝道できるよう祈っています。

日本人の友人知人にはなかなか伝道できない、ということもあってのことですが、現在連絡を取り合っている友人はもちろんのこと、もう連絡さえ取り合っておらず、相手が私のことを覚えているのかも定かでないような人でも、ラプトブログによって救われてほしいと願い、祈り求めています。

ただ、その大半がクリスチャンで、既成のクリスチャンに伝道するのは本当に難しい、というのは経験しています。以前、まだ信仰生活を始めたばかりの頃に、信仰についてヨーロッパの友人に話したところ、明け方の時間の祈りや繰り返し聖書を読むことなど、御言葉で伝えられているあらゆることを強く否定されたからです。

それでも、きっとその中にも頑なではなく、受け入れて救われる人がいる、と信じて祈っています。

今朝の明け方もそのようなことを祈っていたのですが、その時にふと、三十年ほど前、私がアメリカで生活していた時のある出来事を思い出しました。

当時、一人暮らしをしていたのですが、ある時、母から電話があり、飼っていた犬が亡くなった、という知らせを受けました。私が六歳の頃から飼っていた犬で、その頃はすでに老犬だったので、もしかしたら私が日本にいない間に死んでしまうかもな、という思いは薄っすらあったのですが、そのことを考えるだけで辛くなるので、あまり考えないようにしていました。ですから、その知らせを受けた時は本当に悲しくて、最後まで母とまともに話すこともできず、部屋で一人泣いていたのを覚えています。

その数日後、郵便受けに行くと、日本から郵便が届いていました。触った感覚でなんとなく何かが分かり、その場で開けて中を見ると、予想どおり、亡くなった犬の首輪でした。
私は耐えきれずに、その場で泣いてしまったのですが、ちょうどその時、マンションの住人と居合わせてしまいました。
普段滅多に顔を合わせず、会ったとしても会釈をする程度の女性だったので、その時も会釈をして立ち去ろうとしたところ、私が泣いているのに気付き、声をかけてくれました。
そこで私は、日本で飼っていた犬が死んでしまってこれが送られてきた、と言って、首輪を見せました。すると慰めの言葉をかけてくれました。しかし、私は泣いているのを見られた気恥ずかしさからか、お礼を言って足早にその場を去ってしまいました。

その後、部屋に戻ってからも一人悲しみに浸っていると、部屋のドアがノックされました。セキュリティがしっかりしているマンションで、直接ドアをノックされることなど滅多になかったので、誰だろう? と思いつつも、ドアのレンズを覗くと、そこには少し前に声をかけてくれた女性が立っていました。

ドアを開けると「これ、あなたに持ってきたの」と言って、ろうそくを渡してくれました。そして、犬がなくなったことに対する追悼の言葉や、私に対する励ましの言葉を送ってくれました。ただ、その当時、英語は多少理解できたものの、あまり英語を喋ることはできず、お礼を言うのが精一杯でした。それでも、その方の優しさは十分に伝わり、本当に嬉しかった、と感じていたのを今でも覚えています。

それにしても、泣いていたとはいえ、ただ同じマンションに住んでいる、というだけで、親しくもなく、どこから来た誰かもわからず、英語もまともに話せないアジア人に、ここまで親切にしてくれる、というのは本当に驚きでした。

と、そこまで思い出した時に
「そのようにしなさい」
という言葉が頭の中に浮かびました。

そして、私がすべきは、その時の女性のような優しさを持って、人々に接して伝道することなのだ、という思いが湧いてきました。

その時の私のように、あからさまに泣いていなくとも、心の中で泣いている人は多い、そして見えなくとも、殆どの人の霊体は泣き叫んで苦しんでいる、たとえ親しくなくとも、赤の他人であろうと、その女性から感じた優しさでろうそくを渡すように、ラプトブログを教えていかなければならない、救っていかなければならない、と。

そして更に、あの時、その女性から感じた包み込まれるような優しさこそが聖霊様の愛なのだ、と気付きました。

私は聖霊様の愛に関しては、まだまだ正しく理解できていないのだろうな、という感覚があり、理解できるよう祈り求めたことがあったので、自身の経験を思い出させることで、聖霊様の愛がどのようなものなのか教えてくださったのかもしれないな、と思いました。

聖霊様の愛を感覚的に理解できた今、私がすべきは、ただ単に「ラプトブログに記されている御言葉はすごい!」と伝えるのではなく、神様、そして聖霊様の愛をもって、その愛が伝わるように祈り求めつつ、ラプトブログの有料記事にある御言葉の素晴らしさを伝えることです。

そのようにしていけば、今まで伝道できなかった日本人の友人知人の中でも、受け入れてくれる人がでてくるかもしれない。

多くの泣いている人を救える者になれるよう、今後も祈り求め、成長していきたいです。

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