今年最後の明け方の祈り

今年最後の明け方の祈りは、歩き祈りで締めくくってきました。

体調はまだ鼻水が少し出るもののほぼ完治していたため、全くためらうこと無く行くことが出来ました。

この日は歩きはじめから、一年を振り返りました。
祝福されたこと、裁かれたこと、不思議なしるし、悟ったこと、悔い改めたこと、様々なことを思い出し、すべてに感謝しながら歩いていました。

数日ぶりの歩き祈り。いつも以上に祈りが深く入り、感動で幾度となく涙がこみ上げてきました。今までの形式的、義務的な祈りはなんだったのか。あれで祈っていた、などと思い、信仰生活を頑張っている、と考えていたなんて、本当に恥ずかしくなります。
時間がかかりましたが、やっと祈りに関して悟ることが出来たように思います。

しばらく歩いていると、突如、頭の中に、自身が高い山の絶壁から手を広げて飛び降りるイメージが湧いてきました。下が全く見えない場所に向かって風を受けて頭から落ちていく感じです。ちょうどスカイダイビングやバンジージャンプのような。(実際にやったことはありませんが)

そして「そのようにしなさい」との言葉が浮かびました。

更にその後、大きなバックパックを背負った自身が山の絶壁に垂れ下がる紐を握りしめ、ハーネスもかけてゆっくりと恐る恐る降りていくさまが思い浮かびました。

すぐさま、これは私の信仰生活についてだと思いました。最初のイメージは、たとえ飛び降りた先が見えなくても、下では神様が手を広げて受け止めてくれるよう待っていてくださっているのだから、なにも恐れずに信じて身をゆだね、飛び込んでしまえばいい、ということ。そしてその次に思い浮かんだのは、それが出来ていない自分は捨てるべきものをたくさん背負い、大変な思いをして怖がりながらゆっくり時間をかけて神様の元へ向かおうとしている現状。

バックパックを捨てて、紐もハーネスも切り、神様が絶対に受け止めてくれると信じて、勇気を出して飛んでしまえば、もっと楽でスピードも早いし、なにより気持ちがいいのになぜそれをしないのか? と言われている気がしました。

「二心」です。はやりそれが一番のネックとなっているな、と改めて思いました。すべてを捨てて、身一つで神様の胸に飛び込む決心がなかなか出来ない。

来年はこのことを完全に悟り、悔い改めることが出来るだろうか?
そのようになれるよう導いてください、と祈りつつ、歩き進めました。

この一年、本当にいろんなことがありましたが、最後の最後に「歩き祈り」という今後の大きな希望につながる祈り方を授けていただきました。

もしこれが無かったら、しっかりと祈りの時間を守れなかった自分に対して自己嫌悪に陥り、鬱屈した年末を過ごしていたかもしれません。しかし、この歩き祈りによって、自分も毎日ここまで深くお祈りをすることが出来るんだ、ということを知り、今後の信仰生活を豊かに、そして希望を持って続けていくことが出来ると思えるようになりました。

これは、御言葉を伝えてくださった神様、そしてラプトさんはもちろんのこと、常に私達のために祈りを捧げてくださっている川田さんと奈々さん、新たに十二弟子になられたエリカさん、そしてインスタに証をあげてくださっていた兄弟姉妹の皆様のおかげです。

本当にありがとうございました。

来年も出来ることをコツコツとやり続け、いずれ多くの人を救えるように成長できれば、と思っています。

皆様、良いお年をお迎えください。

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