
私の住むマンションの近くに、中学の頃の同級生が住んでいます。
特別仲が良かったわけではないけれど、たまに一緒に遊んだことがあるような、まぁまぁ仲の良い方だった友人です。
たまに子供と歩いているところを見かけたり、すれ違ったりしていたので、そのときは「やあ」とか「よう」と声をかけるのですが、特に話すわけでもなく「近くに住んでるんだね」程度の関心でした。おそらく相手も自分に対してそのくらいの感覚なのだと思います。
先日、その彼がちょうど車で家を出るところに出くわしました。たまたまその日は普段より早く出勤する日で、いつもどおりの道を自転車で走っていたときのことでした。
その彼は新しくてきれいな一軒家から大きな車で出てきたのですが、その時、一瞬ではありましたが劣等感を覚えてしまいました。
信仰生活を始め、物欲はなくなったと思っていたのに、一軒家を建て、大きな車を持っている友人を羨ましいと思ってしまったのです。
更に、自転車で仕事に通っている私を見た彼はどう思うだろうか? 車を持てなくて自転車で会社に通う悲惨な生活を強いられていると見られないだろうか? などと考えてしまいました。
たとえそう思われたとしても何かが変わるわけでもないのに、友人が自分のことをどう思うかが気になってしまったのです。
神様に喜ばれればそれでいい、と思って信仰生活をしていたはずなのに、自分も一軒家を持って大きな車に乗って自慢したい、などという考えが浮かんでしまいました。
まだまだ俗的な世界から抜け出せていない。
その時、長年に渡って蓄積された間違った価値観というのは、本当に削ぎ落とすのが難しいのだと、改めて感じました。
しかし、そこで嘆いてばかりでは一向に変わることは出来ないし、成長もできない。
少なくとも、今回のことで、まだまだ自分にはそのような価値観が残っていると知ることが出来ました。
少しずつでも変わっていかなければ。
そのような思いで悔い改め、利己的な部分をなくし、また他人の物を羨むような考えをなくし、神様のため、人々を救うために生きられるよう、祈り求めました。
今後も、この世の富ではなく天に富を積める者になれるよう、そして「物欲を満たしても幸せにはなれない。霊的に満たされなければ、真の幸せは得られない」ということを多くの人に知ってもらい、人々を霊的に救えるようになるためにも、まずは自分自身の考えを完全に変えられるよう、もがいていきたいと思います。
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