このところ、男性と女性の違いについての御言葉が宣布されています。
私はそれを「なるほど」「確かに」と頷きながら、然り然り、と聞いていました。丁寧に分かりやすく伝えてくださっているので、それまでの女性の不可解な言動も理解できるようになり、更に自身のなかなか悔い改められない習慣も、男ならではなのかもな、と思うようになれました。
ただ、女性に対しては、理解できたものの「女性は大変だなぁ」などと、なんとなく他人事で聞いていたことに気付きました。
私は御言葉を聞いている時、無意識のうちに「これは自分にとって重要だ」「これは大丈夫」などと、選別してしまっていることがあります。すべての御言葉は重要で、適当ではなく真剣に聞かなければならないし、自分に関係のないことなどない、と頭ではわかっているつもりなのに、いつの間にか「これは関係ないから良かった」などとホッとしたりしてしまうのです。
今回も「確かに男の自分は怒りや悲しみ、悔しさなど、一時的に感じることはあっても、ずっと感じていることはないし、たまに思い出したとしても『まぁいいかっ』と流すことができる。あの嫌な感情をずっと持ったままでいるなんて、女性は大変だなぁ」と思いつつも「その面では、男で良かった」と思うにとどまっていました。
しかし、それだけでは、女性の「兄弟姉妹」を心から愛することができない、という思いが浮かびました。女性の性質を知り、理解できていたとしても、実際に何かを言われたりしたら「嫌だな」という感情が出てくるでしょうし、自分に対してその感情をずっと引きずって思いつづけられているのかもしれない、と思うと、自分自身が辛くなるでしょう。もっとも、そのような感情を持ってしまう女性の当人が一番つらいのでしょうけれど。
いずれにしても、自分も相手も嫌な思いをしていては、天国とはいえない。
だから「大変だな」と他人事のように考えるのではなく、男の自分も女性が変われるように真剣に祈らなければならない。それによって女性が救われ、更にその感情を向けられていた男性や他の人達も救われるのだから。
そこまで考えて、今まで以上に真剣に、まずは女性の基準者が選ばれるよう祈り求め、女性の救いも祈り求めなければ、と思いました。
それにしても、今回のことで、改めて御言葉の素晴らしさを悟りました。
御言葉を知る以前は、人から心ない言葉を投げつけられて嫌な思いをしても、その相手を恨んだり、心のなかで毒づいたりするだけで、実際には何もできませんでした。
しかし、御言葉を学んだことで、まずは、そこまで人の言うことが気にならなくなり、更に、相手のことを思い、神様に祈り求めることで、変わってもらえるかもしれない、という希望が湧いてきました。それは「害を受けたくない」いう自分自身のためだけではなく、その相手のために自分がなにかできるということにつながり、それによって人を救うことができるという喜びを得ることもできる。その上、人を救うことで自身の義も積める。
ネガティブな出来事さえ、良いことに変えられるのだと思うと、本当にこの御言葉に出会えてよかった、と思うのです。
まだまだ御言葉に出会う以前の自身の考え方の癖が抜けず、変われていない部分が多々ありますが、今後も信仰を深め、神様に祈り求めて、自身を変えていきたいと思います。
そして、人々の救いのために、今後も祈り求めていきたいです。
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