久しぶりに友人と会う機会がありました。
その友人とは、以前やよく一緒に飲みに出歩いていたのですが、私が信仰生活を始め、酒を断ってからは、あまり会う機会が無くなっていました。
考えてみれば、大人になってから友人と出かける、というと、飲みに行く以外にはなく、それがなくなってからは、友人知人との付き合いがほとんどなくなりました。
当初はちょっと寂しい気にもなっていましたが、信仰が深まるにつれて、友人知人よりも神様を優先する気持ちが強くなり、今では彼らと滅多に会うことがなくても気になりません。ただ、ふと彼らのことを思い出すと「伝道出来ないかな? どのようにしたら伝道できるかな?」と考えたりしています。
彼には以前から陰謀論を話していました。
そしてコロナは嘘、ということも伝えてはいました。しかし私の伝え方が悪いのか、なかなか不安は拭い去れないようで、以前よりは心配している感じはありませんでしたが「このままずっとマスクをした生活が続くんだろうか?」と悲観的な未来しか見えていないようでした。
そこで「テレビは観ない方がいいよ、洗脳されるから。マスコミは不安をあおっているだけ。俺は家で全くテレビを観ない」と言うと、逆に「飲みにも出ず、家でも飲まず、テレビも観ないって。じゃ、毎日家でなにをしてるの?」と言われました。
信仰生活を始めると、やるべきこと、やりたいことがたくさんありすぎて、時間が足りないくらいです。時間があれば、もっと聖書も読めるし、御言葉も復習出来るし、賛美も出来るし、個性才能を伸ばすことも出来る。やりたいことがたくさんあって、家でテレビを観ている時間なんかない。ただでさえ、神様と繋がりたい、と必死になっているのに、酒に酔って神様と繋がれない時間をわざわざ作るなんてことはしようとも思わない。
そういった思いを伝えたいけれど、以前、信仰のことを話したら「宗教でしょ? 」と一掃されてしまったので、この時は「色々とやることはあるんだよ」とだけ答えました。
それにしても、伝道は本当に難しい。
他の友人知人にもラプトブログについて話をしていますが、未だに伝道が出来ていません。
友人の中にはコロナの影響で、本当に仕事でダメージを受け、精神的にも辛くしている人もいるのに、その彼さえも救えていない。
「教えてもらった動画(KawataとNanaのラプト理論)は観たよ。そんなこともあるかもね」
そう言うだけで、それが自身の辛い現状と繋がっているとは思わない。そして自力で現状を打破しようと必死で頑張っている。
神様に頼ればいいのに。神様に祈り求めればいいのに。
私はまだまだ「友人を救いたい」という気持ちと祈りが足りないのだと思います。
もっと真剣に、深く、本気で祈り求めれば、実現するはずなのです。それなのにどこかで諦めてしまっている。
伝道して多くの人を救えるようになりたい。
神様にその願いを叶えてもらうためにも、自身の罪を悔い改め、更に信仰を深め、祈り求めていきたいと思います。