
私は子供の頃、様々な習い事をしていました。
親に無理やりやらされていたことも、自分でやりたいと思って始めたこともあります。
ただ、大人になって、それらは全くの無意味だったと考えるようになりました。時間とお金の無駄だったと。
それは、それらの習い事を生かしてお金儲けができたか、今の仕事に役立っているか、と考えたときに、全く金儲けになっておらず、今の仕事にも役立っていなかったからです。
世の中ではお金を稼ぐことが一番重要で、お金を稼げなければ、何をやっても意味がないし、お金を多く稼いだ人ほど偉い、という考えに取り憑かれていたのだと思います。お金さえたくさん手に入れば大抵の願いは叶うのだから、たくさんお金を稼げればそのほうがいいに決まっている、という考え方が根底にあって、すべての行動をお金儲けに結びつけようと考えていました。
そして子供の頃の習い事はお金儲けにつながっていないのだから、何の意味もなかった、という結論に達していたのです。
しかし、RAPTブログに出会い、有料記事を読み勧めていく内に、その考えが間違っていたと気付きました。
人生において、求めるべきものはお金ではなく、全く違ったものだった。
改めて振り返ってみると、お金がすべてじゃない、という考えは、以前からなんとなく心の奥底にあったような気もします。そして「お金が最も重要」と考えるとモヤモヤした気持ちにもなっていました。ただそれを打ち消すだけの根拠が見当たらず、結局、モヤモヤした気持ちを抑えて、現実的に見たらお金が大事だよね、という結論を無理やり自分自身に押し付けていたのだと思います。
そのモヤモヤを取り払い、すっきりさせてくださったのがRAPTさんでした。
人生において、求めるべきはお金ではなく、別にあることを明確にしてくださったのです。
「人生において一番大切なのはお金ではない」
そのように考えることで、それまでとは全く別の視点で物事を考えられるようになりました。
まるで目が開かれたようでした。
それまで、何をするにしても、お金を得られないなら意味がない、という考えがあったのが、お金など得られなくても意味のあることがある、と考えられるようになったのです。
逆に、お金を得られたとしても意味のないこと、むしろ害になることがたくさんあることも知りました。
そのようにして、考えを改めていくうちに、以前無意味だと思っていたことの中で、意味があったこともあるのではないかと思うようになりました。
そして、信仰生活において「個性才能を伸ばそう」と考えたときに、子供の頃にやっていた習い事の中に何かないか、と考えるようになりました。
金儲けのためではなく、伝道のために、何が出来るだろうか。
そのような視点で考えると「もう一度やってみよう」と思えることがいくつか出てきたのです。
「今から始めたところでプロになってお金を稼ぐには遅すぎる」
それまではそう考えて、再び始めてみようなどと思ったことなのどなかったのに、そのような考えは消え去り、とにかくその技術を思い出し、努力して磨いていけば、そして、それを伝道につなげようともがいていれば、きっと神様が助けてくださるだろう、と思えるようになり、やる気がフツフツと湧いてきました。
そして、実際に始めてみると、とても楽しく、上達すると喜びに満ちあふれるようになりました。
もっとも、今私がやっていることが、本当に神様の御心なのか、まだわからない部分があります。もしかしたら、全く違うことが、私のすべきことなのかもしれない。しかし、少なくとも自身の「個性才能」を伸ばすために努力していることで、とても充実した日々を送ることができています。
そしてなにより、伝道のためにやっているのだから、もしそれが間違っていたり無駄なのであれば、神様が教えてくださるだろう、という考えがあるので、こんなことしていて大丈夫だろうか? という不安はありません。
人生において無駄を省きたい、無意味なことはしたくない、という思いは以前も今も変わりはありません。
しかし視点が変わったことで、自身の人生において、何が無意味で、何が無駄と考えるかが全く変わりました。
今後も神様のため、伝道のために、何をすることが重要なのかを常に考え、祈り求めながら、無駄のない有意義な信仰生活を送っていきたいと思います。
#RAPTブログ #お金 #習い事 #無駄