歩き祈り

ここ数日、私もクルマで明け方の祈りの場所に行くのではなく、家の周りを歩くようにしています。

ただ歩き慣れていないせいか、足にマメができ、スネの筋肉痛に。
それでもクルマで運転しているよりも祈りに集中できているような気がします。

クルマで祈りの場所を探していると、山道を通ったり、初めての場所を通ったりするので、どうしても運転に集中している時間が多くなってしまうからです。

ですから、歩きながらの祈りのほうがいいかも、と思い始めています。

ここで気をつけなければならないのが、この歩く行為そのものを「義務的」にしてしまうことです。

私はすぐになにごとも「義務的」に行ってしまう癖があります。

「歩けば良い!」「よし、今日も歩いた!」とそれだけで満足してしまうのです。

以前の祈りの場所に行っていた頃もそうでした。明け方の時間に起きて、その場所に行くだけで、やったつもりになって満足していた感じがありました。

せっかく明け方に起きて、外に出て歩いても肝心の祈りがおろそかになってしまったら、全く意味がない。

歩くことが目的ではなく、歩いて祈ることが目的。

なにが重要かを常に意識しなければ、と思っています。

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