伝道の難しさを痛感しています。
友人二人と会食をしました。以前はよく一緒に飲みに出ていた友人たちでしたが、私が酒を止めたこと、そして嘘のコロナ騒動の影響で、ずっと会っていませんでした。
久しぶりだったので、近況報告等をしていたのですが、その後、以前から、私は彼らに陰謀論を話していて、ずっと会っていなかったから「ネタ」もたまっているということで、コロナの嘘を軸に色々と話をしました。
そして、その流れで信仰の話もしました。
私はその二人の内の一人には以前にも信仰の話をしたのですが、伝道することは出来ていませんでした。そこで今回、再度チャレンジ、といった感じだったのですが…
食いつきは良かったと思います。理解も示そうとしてくれました。しかし最終的に聞けた言葉は「神は信じないけどお前は信じるよ」ということ。
未来が不安だ、という話をしたので「神様に祈り求めれば助けてくださるのに、もったいない」と言うと「何かあったら○○(私)に相談するからいいよ」と。
以前であれば、彼が友人として私を頼りにしてくれている、とたかぶっていたでしょう。しかし今回その言葉を聞いたときは、ただただ残念でなりませんでした。頼るべきは私ではなく神様なのに。
結局、いくら何を言っても頑なで、受け入れてはもらえませんでした。
私の力不足です。
彼にとっての私はこれまでと同じ私なのです。信仰生活を始めて、自分は多少なりとも変わったと思っていましたが、他人から見たら、新しい話はしているけど、根本的には大して変わっていない。
やはり、以前からの親しい友人からも明らかに変わった(もちろんいい意味で)と分かるようにまでならなければ、伝道は難しいのだな、と思いました。
彼らを伝道するためには、それまでの彼らが私に対して抱いていた私の印象を覆さなければならない。
明らかに神様の御力によって変わったと思われるようにならなければ。
そう考えると、並大抵の努力では難しい、という結論に至ります。
まだまだやるべき事はたくさんある。
ただ、友人たちに伝道出来なかった、という悪い部分だけではありませんでした。
その話をカウンターでしていたとき、その店のオーナーがカウンター越しにいたのですが、私の話をとても興味深く聞いてくれました。
そのオーナーもずっと以前からの知り合いで、以前、私が店に行っていたときはよく陰謀論を話していたのですが、今回超久しぶり、ということで、喜んで聞いてくれました。
その勢いで、今まで彼に話したことのなかった信仰の話をし、神様、天国、地獄、サタン、霊魂、死後の世界、など様々な話をしたのですが、私の話を本当に真剣に聞いてくれ、信じてくれている、という感覚がありました。
「でも、こうやって酒を提供しちゃってるじゃないですか」
私が酒を止めた理由が信仰のためだと言ったときに、そう言うので「そのことに関しては、神様に祈り求めればいい。本気で信仰生活をしたいと思うなら、別の道に導いてくれるかも」と伝えると「そっかぁ」と神妙な面持ちになっていました。
もしかしたら、彼自身、酒もタバコも止めて信仰の道に入ってくれるかもしれない。
とりあえず、彼には
を教え、そこからラプトブログに行くといい、と伝えました。
私が伝道しようと思っていた人ではなく、その場にいた違う人が興味を示してくれる。
実は、そのような経験は今回だけでなく、数日前にもありました。
友人のレストランにランチに行き、そこでも陰謀論を話し、その後、信仰生活の話をした際、私はその友人をゆくゆくは伝道したいと思っていたのですが、その話を横で聞いていた、そのレストランで働いている女性が、私の話に興味を示しました。
そこでその時も
を教え、そこからラプトブログに行くように、と伝えたのです。
親しい友人に伝道するのはなかなか難しい。しかし、自分の意図とは違った形で、他の人に伝道出来ることがあり得るのだな、と今回感じました。
やはり、最初から「伝道は無理だ」と決めつけず、とにかく話してみる、行動にしてみることが、とても重要なのだと、実感しました。
そうすれば、思わぬ成果を得られることがあるのだと。
まだまだ自分の意思や意図によって行動してしまいます。
もっともっと神様に祈り求め、神様にすべてを委ねて行動できるようになりたいと思います。