私がキリスト教を初めて強く意識したのは、高校の夏休みにアメリカへ短期留学をしたときでした。カリフォルニアの小さな田舎町にホームステイをし、滞在中に教会に連れて行かれたのです。
その時礼拝していた信者の中に、ジャンキーの人がいました。麻薬に溺れていて、そのことを告白し、許しをこいていると聞いたのですが、当時はまずジャンキーが実際にいたことに驚き、更にその罪を告白すれば許してもらえる、ということにも驚きました。
今思えば、告白するだけではなく、悔い改めなければ許してはもらえないのですが、その時は「悪いことをしても、告白すれば許してもらえるなら、何でもやりたい放題じゃん」と思ったのを今でも覚えています。そして「なんとも都合のいい宗教だな」とも思いました。
その後、キリスト教を知る機会は度々訪れたものの、興味は全くわかず、むしろ「日本人には神道と仏教があるのだし、八百万の神をおがめば良い」と思っていました。親戚の人がキリスト教徒になったと聞いても、なぜなのかさっぱり理解できず、不思議でなりませんでした。
全くの無知だったのです。
RAPTブログに出会ったのは、陰謀論をネットで読み漁っていた頃で、他の陰謀論サイトとは一線を画す内容に惹きつけられ、いつしかRAPTブログ以外はほとんど見なくなっていました。
そうしている内に、このようなスゴイ陰謀論の記事を無料で読めるなら、有料記事はどれだけ凄いのだろうか? と興味がわきました。
ただ、キリスト教の内容だろう、と予測できたため、自分には関係の無いことかもな、と決めつけて、しばらくは購読せずにいました。
しかし、やっぱり気になってしまう。
そこでとりあえず、一ヶ月だけでも、と思って購読し始めたのでした。
結果、その素晴らしさに感動し、これこそが自分の探し求めていた真理だと確信して、キリスト教を信じ、御言葉に従うようになって、現在に至ります。
どちらかというと、キリスト教に対して懐疑的だった私が、有料記事を読んで、すんなりと受けいれられたのは、その文章の読みやすさがあったからだと思います。あまり聞いたことのない話だと、読むだけでも苦労し、さらにそれを理解しようとなると、相当な集中力が必要です。しかし、RAPTブログの有料記事にしるされていた文章はとても読みやすく、内容がすんなり頭に入り、馴染んでいくような感覚がありました。
そして、そうやって理解した内容には矛盾がなく、信じる以外にない、聞き従う以外にない、と心底思えたのです。
それにしても、私は本当にキリスト教を誤解していました。
本当に神様を信じ、神様の愛を知ったら、そもそも悪を行おうなどとは絶対に思わないはずです。そしてもし罪を犯してしまったら、神様に許してもらわなければ、と必死で祈り求め、悔い改めているはずです。
やりたい放題など出来るはずもない。
とにかく、私は大して知りもしないのに、キリスト教とはこういうものだ、と決めつけて、その先入観から苦手意識を自身に植え付けていました。
もっとも、現在のクリスチャンが伝えるキリスト教とRAPTさんが伝えてくださる御言葉は違うものでしょうから、たとえRAPTブログ以外でキリスト教を知ったとしても、信じることはなかったと思いますが。
日本では神道と仏教が根付いてしまっていて、キリスト教は主に欧米人に向けたものだと考えている人が多いと思います。
しかしこの時代の使命者として選ばれたのは日本人です。
そして御言葉は日本語で伝えられています。
それなのに、日本語が理解できる日本人が聞かずにいるなんて、本当にもったいないと思います。
まずは、より多くの日本人がこの素晴らしい御言葉を知り、キリスト教を信じ、細部に渡るまで御言葉を理解した上で聞き従い、信仰生活を送り、実際に希望に満ち溢れた素晴らしい日々を送ってもらいたい。
そしていずれ全世界にこの御言葉が広がって行きますよう、心から祈り求めます。