いやな夢

いやな夢をみました。

友人から無視される夢で、強烈な疎外感で目が覚めました。

通常の日々の生活で疎外感を感じることはありません。以前であれば、共通の友人達が自分抜きで食事に行ったのを知ったりすると疎外感が襲ってきたことがありましたが、信仰生活を始めた今では全くそういったことがなくなりました。

むしろ、友人知人から食事などに誘われても、帰りが遅くなって明け方の祈りの時間に支障が出るかもしれないと思い、気が進まないくらいです。

それなのに夢では、友人に誘ってもらえなかったことに対して憤慨する、といった感じで、本当に嫌な気分で目が覚めたのです。

私は嫌な夢をよくみます。

異性の罪を犯したり、タバコを吸ったり、酒を飲んだり、といった信仰生活において罪を犯すような夢や、旅先で旅券やクレジットカードなどすべてをなくしたり、知らない土地で迷ったりと、不安に襲われるような夢がほとんどで、現実ではあり得ないことばかり。
それなのに、どうしても目覚めた直後は嫌な気分になってしまいます。

インスタグラムのラプトさん達の対談の中で、川田さんが、信仰生活をするようになってから悪夢をみなくなった、とおっしゃっていました。

しかし、私は長く信仰生活を続けているのにも関わらず、いまだに悪夢をみています。

以前の御言葉で、ラプトさんがみた夢についてお話されていたことがありました。聖書にも夢の解き明かしの話が出てくるので、夢についてはなんらかの意味があるのだと思っていたのですが、それはおそらく神様に近い方が受けられるのでしょう。

そして私のように、まだまだサタン的考えが抜けてない人間は、寝ている間にサタンと波長が合ってしまい、夢にサタンが入り込んできているのかもしれません。

嫌な夢をみてしまうと、いくら現実とは全く違っていても、映像として脳裏に残ってしまっているため、その後も引きずってしまいます。そしてその日一日モヤモヤとした気分で過ごすことになります。

この悪夢を止めるためにも、やはりもっと聖書を読み、御言葉を読み聞きし、頭の中を神様の考えで埋め尽くさなければならないのだろうな、と思いました。

そして、たとえ寝ている間でもサタンにつけ入る先を与えないように自身を変えていかなければ。

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