出会ったときのこと

今朝の明け方の祈りの時間、ふと自分が御言葉に出会った時のことを思い出しました。

私はその当時、いくつかの陰謀論サイトを閲覧していました。ただ、それらすべてを鵜呑みにして信じていたわけではなく、ただ独自の好みでどれを信じるか、どれが話のネタとして面白そうか、を決めて、様々な話をつまみ食いしていたに過ぎませんでした。

そんな中、ラプトブログに出会ったのですが、それまでの固定概念を打ち砕かれ、信じていたものを否定されたため、一時期は拒否反応をおこして、訪れるのを止めた時期もありました。しかしどうしても気になってしまって、結局戻り、読み進め、その完璧な理論に反論の余地がなくなり、同時に自身の陰謀論に対する知識がどれだけいい加減かを思い知ったのでした。

他のサイトと意見が食い違っているところを比較すると、絶対的にラプトブログのほうが説得力がある。そしてわかりやすい。

これこそが真実なのだと確信し、それからはほぼラプトブログのみを閲覧するようになりました。

そして、有料記事。

それについては、気になってはいたものの、なかなか購入にまでは至りませんでした。どうしても「騙されたくない」「損をしたくない」という思いが強く、お金を支払う、という行為に踏み切れなかったのです。騙されたと分かったときの悔しさ、敗北感、自己嫌悪、後悔などを味わいたくなかった。そして宗教がらみ、というのも、購入にブレーキをかけていました。それまでのブログの内容から、ブログ主のラプトさんがキリスト教信者だ、というのは分かっていましたが、どうしても、宗教=胡散臭い というイメージが強く、宗教に騙されるなど、愚行の極みだと思っていたからです。

それでも、ブログの内容の素晴らしさに感動していた私は、どうしても有料記事の内容が知りたくなり、たとえ騙されたとしても一ヶ月分の800円だけだからいいか、という思いが強くなって、購入したのでした。

内容は全く想像をしていなかったものでした。

それまで何かを探し求めていた気がしていたのですが、それが何かもわからず、ただ漠然とその「なにか」が見つかればいいな、と思っていました。

ラプトブログにはそれがあった。

そして、これこそが今まで探し求めていたものだ! という感覚を得て、引き込まれていきました。

最初に有料記事を読んだ時の興奮は今でも覚えています。仕事の昼休み中で、職場の休憩所にいたのですが、読み終わったあとは居ても立っても居られなくなり、座っていた場所から立ち上がって、その辺をただただ歩きまわっていました。

しかし、初めて有料記事を購入してから、信仰生活に入るまでには数カ月を要しました。その当時は有料記事に記されているキリスト教の信仰生活からは遠く離れ、むしろ対極の罪だらけな日々を送っていたからです。それらは、そう簡単に変えられるものではありませんでした。

すでに結婚していたので、異性の罪は犯していませんでしたが、結婚以前に犯してきた異性の罪の重さに愕然としましたし、それ以外でも、本当に自堕落な生活を送っていました。酒も独身の時よりは回数が減っていましたが、それでも飲みに出て強い酒を飲み、酔っ払って帰ることがありました。

それを止めるとなると、なかなか難しく、結局、信仰生活を始めよう! と心に決めても、友人知人からの誘いがあると、どうしても行ってしまいう、といった感じで、ズルズルと先延ばしにしていました。

それでも、酒を止めてなければ進行生活のスタートラインにも立てない、と思い直し、日付を決めて止めました。

そして、それ以来、酒は一滴も口にしていません。

信仰生活を始めてからは、人生がガラリと変わりました。生きていく上での意味を知り、目標ができ、自身にとって絶対に有益になることを知って実践することで、本当に日々の生活が充実したのです。

この感覚を一人でも多くの人に味わってもらいたい。

毎日同じことの繰り返しでつまらない、生きていてもいいことがない、憂鬱になることばかりだ、と思いながら生活している人に、ぜひ有料記事を読み、そこに記されている御言葉に従って信仰生活をしてもらいたい。

今までなにも知らず「騙されていた」のだと知ってもらいたい。

人類の救いを祈っていたら、そのような思いが沸々と湧いてきました。

今後も多くの人々がラプトブログを知り、購読して、有料記事にたどり着き、信仰生活によって真の意味で救われるよう、今後も祈り求めていきたいと思います。

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