「夢」について

私は二十代の頃、ある夢を抱いていました。
そしてそれに対して大した努力をしているわけではなかったのにも関わらず、その夢を叶えて成功して富と名声を受けたい、という願望だけは人一倍あり、周りの皆が就職していく中で、定職もつかずにフラフラしていました。
当然、周りからは早く落ち着くよう言われていたのですが、なかなか定職につく気になれず、ダラダラと日々を過ごしていたのです。

そんな中、大叔母と会う機会があり、近況を聞かれたために、その夢の話をしました。すると「そんなの、お金をかければすぐに叶うでしょう。あとは知り合いに頼めば」と知り合いを紹介してくれそうな勢いで話してくれました。
その大叔母は金持ちで顔も広かったため、彼女に頼めば本当にすぐに夢が叶うのではないか、とも思えました。実際、私の「夢」に関する業界の知り合いもいたようです。

しかし、私はその方法で成功しても意味がない、と若いながらにも考えて、結局彼女に頼まず、自力で頑張ろう、と思ったのでした。

結局、その後、自堕落な生活をしていた私は、真剣に夢に向かって頑張ろうとはせず「いつか夢が叶うといいな」と思いつつも、いつしか日々の生活に追われるようになってはいました。
ただ、その大叔母とのことを振り返って、彼女に頼んでおけばよかったな、と後悔したことはありませんでした。

当時の私は無知で不真面目で、とにかく楽をして生きたいと思い、大金が転がり込むような発明をしたら、宝くじが当たったら、お金持ちの女性と結婚出来たら、などと妄想しつつ、金さえあれば遊んで暮らせるのに、ということばかりを考えていました。ズルをしてでもいいから、とにかく成功してしまえばこっちのもの、金持ちになった人が勝ち、という考えがあったのも事実です。

そして、ラプトブログで有料記事にある御言葉を読み悔い改めるまでは、その考えは根本的には変わっていなかったように思います。

それでも夢に関してだけは、以前から金やコネで叶えようとは思いませんでした。そんなことをしても虚しいと思っていたのです。

それから二十年近く経った後、ラプトブログに出会い、その頃の夢に向かってもう一度頑張ろうと気持ちを切り替え、実際に努力し始めたのですが、その当時、あれだけ不真面目だったのにもかかわらず、ズルをして夢を叶えたいと思わなかったのはなぜか、と考えるととても不思議でした。

ラプト理論を学んだ今であれば、それが間違っているとわかるのですが、当時の無知で不真面目な自分がなぜ、大叔母に頼もうとしなかったのか。

あの時、もし大叔母に頼んで、ちょっとした成功をおさめていたら…

もともと実力など無かったのだから、たとえ成功したとしてもすぐに廃れ、その過去の栄光にすがり、惨めな思いをしながら日々を過ごしていたのは想像出来ます。その過去の栄光に押しつぶされ、死にたいとさえ思っていたかもしれない。

もしかしたら、神様が私にその当時「金や人脈だけで成功しても意味がない」と考えるようにしてくださっていたからなのかもしれない。そうやって明らかに不幸になる道に行かないようにしてくださった。

そしてその後、ラプトブログに出会い、有料記事を購読し始め、信仰生活を始めて御言葉に従うようになり、再びその夢に向かって努力し始めたのは、すべては神様が導いてくださった結果なのかも。

そうだとすれば、この私の不可解な考えも納得がいきます。

私はこれまですべて自分の意思で決めてきていたと思っていましたが、実際には神様がそのような意思を私に与えてくださっていた。

そもそも、その「夢」自体、なぜそれをしたいと思ったのかもよく覚えていません。ある日、ふと「それをやろう。それを夢として自身の将来に希望を持ってやっていこう」と思い立ったのだと思います。そしてなぜかそれを(細々と、ではありますが)ずっとやり続けていました。

それ以外にも、なんの脈略もなく「ふと」何かを始めたことがあります。取りやめたこともあります。それもすべて神様が与えてくださっていたことなのかも。

ただ、そうなると神様は、神様の意思に反して何度も大きな罪を犯し、過ちを繰り返してきたのにも関わらず、長い時間をかけて辛抱強く、私をラプトブログの御言葉に導いてくださった、ということになります。それは神様にとってはとてつもない忍耐が必要だったと想像出来ます。罪について知らなかったとはいえ、私は本当に罪深い人生を送ってきたからです。

それでも、私はこうして信仰生活を送るようになりました。

ですから、その導いてくださった神様の思いは裏切れない。もっともっと神様のために頑張らなければ、という強い思いがこみ上げてきます。

本当にそれが出来ているか?
今の私が神様が求めるようなレベルで出来ているとは到底思えません。

それでも諦めずにやり抜きたいという思いはあります。

せっかくこの世に生まれてきて、生きている内に神様の存在を知り、リアルタイムで神様の伝える御言葉を聞き、それを実行するチャンスを与えられているのだから、出来る限りのことをしていかなければ、という思いに駆られるのです。

今後も御言葉を伝えてくださっている神様とラプトさんに感謝し、信仰生活を続けていきたいと思います。

おすすめの記事