疲労と眠気

明け方、事故を起こしそうになりました。

ここ数日、仕事が忙しく、疲れているな、と思い始めたので、仕事が休みだった昨日は一日のんびりと過ごしました。ただ、そののんびりな過ごし方に問題があったのだと思います。

子供も休みなので、どこかに行こうかと考えていたのですが、結局どこにも行かず、家で過ごしました。

せっかくの休みで時間もあるのだから、聖書を読んだり、御言葉を復習したり、個性才能を伸ばすために努力したり…と色々考えてはいたのですが、子供たちに遊ぼうとせがまれ、その合間に聖書を開いてもウトウトと寝てしまい、結局ほとんど何も出来ずに怠惰な一日を過ごしてしまいました。

それでも、疲労はとれたかな、と思ったのですが。

明け方の時間に起きてみると、疲労感は残っていました。

そこで、無理に歩き祈りをするのは止め、車で山に行って祈ることにしました。以前、風邪をひいたときに無理に歩き祈りを決行して、途中フラフラになって大変な思いをしたからです。無理をしてはいけない。車の方が楽だから。そういう思いでした。

祈る場所までは車で約20分。多少の眠気もありましたが、特に問題なく祈る場所に着きました。しかし祈り始めると、一時間経たない内に寝てしまい、気が付くと十分以上過ぎていました。これではいけない、と思って姿勢を変えて祈りましたが、また少しすると寝てしまう。そのようなことを繰り返し、大した祈りも捧げられず、家に帰ることにしたのですが、その間に強烈な眠気に何度も襲われました。

道中の大半はバイパスなのですが、この日は休みということもあって、いつも多い大型トラックも少なかったので、走りにくくはなかったのですが、眠気で車がふらつき、幾度となく車線をはみ出すような本当に危ない運転をしていました。そしてバイパスを降り、赤信号で停まると、一瞬ですが眠気で意識が無くなりました。

幸い、後ろに車もなく、青信号になって少し発進が遅れただけで済みましたが、本当に危なかったと思います。

今回のこの経験から反省すべき点がいくつか浮き彫りになりました。

まず、いくら疲労がたまっていて丸一日休めたとしても、ダラダラと過ごしていては疲労はとれないこと、歩き祈りは疲労がたまるから、という理由で車移動に切り替えたが、疲労がある状態での運転は余計に危ないということ。そしてなにより、疲れを癒すときでも神様に意識を向けるべきだったこと。

運転中の眠気に関して言えば、サタンからの攻撃だったのかもしれません。

私は霊的に鈍感なため、すぐに、サタンとの戦いが激しい、ということを忘れてしまい、あまり警戒もせず、意識もせずに過ごしてしまいます。しかし、サタンは容赦なく攻撃してくる。

いくら疲労困憊していても、歩き祈りにすべきでした。そしていつものルートが辛いのなら、近くの公園で祈ればよかったのです。

ちなみにここ一年以上、家で祈るという選択肢は排除しています。私の場合は、家で祈っていると必ず寝てしまうのが分かっているからです。

信仰生活は苦行ではない。そしてストイックになる必要はない。ただし怠惰になってはいけない。

やはり私は信仰がズレているのかもしれません。どうしても自分の考えが抜けきれず、神様に頼らないため、結果ミスを犯す。

今回のことを悔い改め、今後もその都度軌道を修正して、サタンに打ち勝ち、神様に祈り求めて正しい道を歩めるよう、日々心がけていきたいと思います。

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