風邪をひいてしまいました。
昨日、夕方ころ喉に違和感を覚え、帰宅したころには「風邪をひいた」と認めざるをえないくらい喉に痛みを感じ、鼻水も出るようになってきました。
夕食をとり、風呂に入ってすぐに寝たのですが、明け方の祈りの時間に起きても改善していませんでした。
身体がダルく、起き上がるのも大変な感じです。今日は歩くのをやめて家で祈ろうかな? などという考えが浮かびました。このところずっと毎日歩いてきたのだから、一日くらいはいいだろう、と。
しかし熱も無いし、頑張ればなんとか行けそうじゃないか、という考えも浮かびます。サタンから攻撃を受けているこの時期に、弱気になって怠惰になってしまっては、サタンの思うつぼ。せっかく明け方の祈りに関しては勝てるようになったのに、ここで止めてしまっては意味がない。
家で祈ったら、確実に寝てしまうだろうというのは分かっていました。これまでの経験から、この辛さと暖房の暖かみで眠気に勝てるわけがない。他の日ならともかく、この日はむしろ外に出た方がいいんじゃないか。そうしてサタンに「絶対に負けないからなっ」という意思を見せることに意義があるのではないかと。
葛藤の末、身支度をして、外に出ました。
いざ歩き始めてしまえば、あとはいつものコースをたどるだけ。今日はショートカットしちゃおうかな、などという怠惰な気持ちが出てきますが、それをなんとか抑え、神様に祈りながら、歩き続けました。
ちょうど半分くらいまで来たところの河川敷の途中にベンチがあり、いつもそこで少し休憩しつつ座って祈っているのですが、座った途端、急激に疲れとダルさがおしよせてきました。もうこのまま寝てしまいたい、と思うくらいでした。実際には寒くて眠れたもんじゃないんですが。
昼間であれば、バスで帰ることもタクシーをひろうことも出来たでしょうが、真夜中の二時には無理です。
こうなってしまうと、頼れるのは神様しかいません。力をふり絞って立ち上がり、必死で神様に祈り求め、ふらふらになりながらも残りのルートを歩き切りました。
無事帰宅して思ったのが「無理はしないこと」でした。
前日に、良い習慣が出来なくなってもそれに代わることをすればいい、と悟ったばかりなのに、習慣を守ることに執着してしまっていた気がしました。
自分の中に凝り固まった考えというのは、なかなか取り払えない。だからこそ、日々悔い改めて少しずつ変わっていかなければならない、と痛感しました。わざわざ遠くに歩いていかなくても、近くの公園をぐるぐる周っていても良かったし、たまにはクルマで祈りに行っても良かったのです。
重要なのは祈りを捧げることで、歩くことでは無い。歩くことは方法の一つに過ぎないのだと、改めて感じました。
ただ、神様に必死で祈り求めた経験は大きかったと思います。以前も書きましたが、私は大病を患ったり、死にたいほど苦しい思いは経験していなかったので、必死で神様に祈り求めるという経験が、あまりありませんでした。壮絶な経験されているラプトさんや兄弟姉妹の皆さまにしてみれば「そんなことで…」と思われるかもしれませんが、今回のことで、その気持ちがほんの少しではありますが、知ることができたのではないかと。
そう考えると、今朝の祈りは無駄では無かったな、とも思えます。
まだ喉が痛く、鼻水も出るし、身体もダルいので、今日は一日ゆっくり休もうと思うのですが……仕事です。
頑なで、なかなか変われない私に対して、どんな状況でも悟りを与えてくださる神様に感謝いたします。