新たな祈りの場所

一昨日は結局熱が出てしまったので、仕事は早退して家で一日寝ていました。

その甲斐あってか夜には熱が下がり、昨日は万全ではありませんが、回復しました。

ただ、ウォーキングで悪化することを恐れて、今朝の明け方の祈りはクルマで出掛けました。

そして以前行った場所に行ったのですが、あまり深く祈れませんでした。体調が万全ではないというのもあると思いますが、着いた途端に疲れを感じて寝てしまったのです。寝ていたのは十五分程度だったと思いますが、これではいけない、と思い、その場を離れ、しばらくクルマを走らせてから帰路につきました。

やはり霊も重要だけれど肉も重要なのだが痛感しています。

肉がなければ御心を成せないのだから当然なのですが、霊を成長させればなんとなかる、という偏った考えになっていたように思います。

ひとつのことを悟るとひとつのことを忘れる。

本当にダメだなぁ、と思いながらも、以前ほどは落ち込まなくなりました。落ち込んだところでなにも良いことが無いからです。落ち込んでいる暇があったら、悔い改めなければ、と思うようになりました。

そして今朝の明け方。

昨日一日調子が良かったので、大丈夫だと余裕ぶっていたのですが、いざ起きる時間になると、とてもダルくてなかなか起きることが出来ない。それでも「あと十分」と呟いて、それを守り、十分後になんとか起き出して、身支度をはじめました。

身体が熱っぽかったので、この日も歩き祈りは断念。

クルマに乗り込んで、さてどこに行こう? と思っていると「海へ」という言葉が頭に浮かんだため、初めて海に向かって走ってみました。

海岸までは三十分程度、その後、海岸沿いを祈りながら走っていたのですが、暗くて海も見えず、そのまま走り続けること更に三十分。少し辛くなってきたので、コンビニに立ち寄ってドリンク剤を買い、帰路につこうと少し戻っていると、地元ではそこそこ有名な絶景の見える場所の看板を発見したため、そこに立ち寄ることにしました。

そこには一度も行ったことが無かったのですが、細い山道を登っていった先に見えたのは、絶景!とはいかず、真っ暗でなにも見えませんでした。

ただ同じ道を戻りたくないという思いから、そのままどこに出るのかも分からずに山の方に突き進んでいくと、クルマを停めるのにちょうどいい場所を見付けました。

山の合間から、きれいな月が見えます。静かで人もクルマも来そうにない。

もしかしたら、ここで深く祈れるかも。

そう思ってクルマを停めて祈り始めたら、とても深く祈れました。

ずっと以前の御言葉でラプトさんが「ずっと祈っていたい感覚」について話したことがあって、その時はよく分かりませんでしたが、今朝はまさにそんな感じでした。

今回のことで、よい行いを行えなくなった時、いかに柔軟性をもって対応するかを学んだ気がします。

ただ、やはり早く歩き祈りに復帰したい思いが強いです。

体調が万全になるよう、神様に祈り求めます。

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