サタンにヤラれる

ここ数日「自分は汚れている」という考えが頭から離れず、辛くなっていました。

私のような罪深い人間がこのまま信仰生活を続けていっていいのだろうか?  インスタのような場所で証など書けるような人間なのか? 私のような霊的に醜い人間が証をすることで、他の皆さまに悪影響を及ぼしてしまっているのではないか?

考えがどんどん悪い方向にハマっていくのが分かりました。それでもそれを止めることが出来ず「大丈夫だ、そんなことはない」と言い聞かせても「その根拠がない」と、それを打ち消すような考えが次から次へと浮かんでくる。

そんな気持ちの中でも、聖書を読みすすめたい、という思いがあり、仕事が終わったあとカフェに寄りました。

そして聖書を読み始めると、次第に考えが落ち着いてきました。

しかし三十分ほど経った頃、隣にノートパソコンを持った女性が座ってきました。ネットで会議をしているようで、相手側の声が漏れ伝わってきます。
その声で集中が途切れてしまい、聖書の内容が全く頭に入ってこなくなってしまいました。その後、その女性はイヤホンに切り替えたようで相手側の声は聞こえなくなったのですが、今度はその女性が仕事の現状を報告するような内容を延々と話すようになりました。

私は聖書に集中しようと必死に聖書の字を追ってはいたのですが、なぜかその女性の話ばかりが頭に入ってきて、全く聖書の内容が頭に入ってこない。いつの間にかページだけが進んでいて、それに気がついて、戻って読み直す。その繰り返し。

カフェには他にも話をしている人はいて、それは全く気にならなかったのに、なぜかその女性の話はクリアに頭の中に入り込んでくる。

結局、聖書を読むのを諦めて、カフェを立ち去りました。

このままではいけない。

そう思って、その日の明け方の祈りはクルマで山に行き、これまで犯してきた過去の罪について、できる限り思い出し、改めて悔い改めました。
信仰生活を始めてからは、異性の罪や飲酒など、あからさまな罪を犯していませんが、それ以前の罪が大きすぎるのではないか。そのような思いが強くなっていたからです。

世間一般に見れば、私のしてきたことは罪ではありません。犯罪を犯したわけではない。しかし神様の基準、聖書の基準、御言葉の基準からしたら罪だらけです。そして一度悔い改めたところで、簡単には許されない。

しばらく祈っていると、それらの罪に気付けて悔い改められただけでも良かった、と思えるようになりました。罪によってとんでもなく醜い姿になってしまっていた私の霊が、罪に気付いて悔い改めたことで多少はマシになったのではないか、と思えたのです。なにも知らず、罪を罪と思わず、霊が醜い姿のままで一生を終えなくてよかった、と。

ただ、少し悔い改めたからといって満足してはいられません。目指すところは完全に清くなること。

私のような者が、神様の御働きができるくらいまで清くなれることなどできるのだろうか? やはり無理なのではないか。

再びそういった思いが浮かんできました。そして今まであまり考えなかったようなネガティブな考えが浮かんできて離れず、更に過去の嫌な思い出が意味もなく蘇ってきたり、過去の罪について、やはり取り返しのつかないことをした、もうダメだ、絶対に自分は清くなれない、と思ったりしました。
更に、そのように考えること自体が罪だと思うと、やっぱり自分はダメだと思ってしまう。

結局、重い気持ちのまま、その日一日を過ごすことになってしまいました。

そして今朝、明け方の祈りの前に御言葉を聞いたのですが、希望的な話で涙が溢れました。同時に、まだ自身の信仰心は薄れていない、と感じました。

その後、再び山に行って祈ると、徐々に暗い気持ちが晴れていきました。

自分がすべきことは、信仰を失わなずに神様を愛し続けること。今清くなくても、清くなれるように頑張っていけばいい。そして清くなれたかどうかは神様が決めることだから、自分でどうこう考えず、今後も日々罪を悔い改め、祈り求め、今できることをコツコツとやっていくしかない。

そう考えることで希望がわいてきました。

また、サタンに打ち勝つためにも常に神様を意識していなければ、と改めて思いました。頭では神様を意識すべきだと分かっていても、実際にはそれが出来ていなかった。そして神様に祈り求めず、自分の力でサタンに対抗しようとしていました。

振り返ってみると、サタンを甘く見ていた気がします。自分は大して強くもないのに、サタンに打ち勝てるとナメていた。だから狙われ、そしてやられてしまったのかもしれません。
もしくは神様が練達のためにそう仕向けてくださったのかも。
そして常に神様を意識する重要性を私に分からせるために、こうした攻撃をサタンにさせたのかもしれません。

そう考えると、今回のサタンの攻撃も自身にとっては益になったな、と思えます。

いずれにしても、今後も罪を悔い改め、神様に助けを求め、祈り求めながら、信仰生活を続けていきたいと思います。

そして、神様のため、ラプトさんのため、十二弟子の方々のため、十二弟子候補の方々のため、兄弟姉妹のためにも、祈り続けていきたいです。

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