
今朝、中国共産党の滅びを祈っていた際に、ふと以前のある経験を思い出しました。
私が海外に行くために国際空港のロビーで手続きを済ませ、時間調整のためにぼんやりと突っ立っていたときのことです。中国人らしき人が近寄ってきて、私に英語で時間を聞いてきたので、腕時計を見て時間を答えました。すると、それを聞いたあと、何も言わず、そのまま立ち去ったのです。
ほんの些細なことですが、なぜか今でも鮮明に覚えています。
私は何年もの海外生活の中で、嫌な思いをたくさんしました。こちらが話しかけても無愛想で相手にしてくれなかったり、私の話す言葉が通じなくて鼻で笑われたり、なぜか急に罵倒を浴びせられたり。
そのような経験をしているので、その空港でのことは大したことはないようにも思えるのですが、見ず知らずの人にいきなり声をかけられ、何かを聞かれて答えた際に、全く(一言も)お礼を言われなかったというのは、先にも後にもその時だけでした。
ですから、その経験が際立ったのだと思います。
善意で答えてくれた相手に一言お礼を言う、というのは、ごく当たり前で、他人に対する最低限の礼儀、というか、世界共通の常識のように思うのですが、それさえもできない、というのは、どういう人なのだろう? と思ったのです。
二十年以上前のことです。まだ中国が今ほど裕福でもなく、限られたごく一部の裕福な中国人だけが海外旅行に行けたと思われる時代ですから、おそらく共産党員だったのではないかな、と今振り返ると推測できます。となると、自己中心的で他人に対する礼儀や思いやりが皆無、という異常性も納得がいくような気もします。
ちなみになぜ中国人だと思ったかというと、一緒にいた人と中国語っぽい言葉を話していたこと、そして見た目も格好もなんとなく中国人っぽかったことからです。ですから、絶対に中国人だったという確信はありませんが...いずれにしても、あれは酷かったな、と。
そんなことを考えながら、再び中国共産党の滅びを祈っていたのですが、その後、逆に海外では本当に多くの人の善意に触れていたな、ということも思い出しました。
海外では、言葉はもちろんのこと、その国や地域の習慣やルールなどわからないことがたくさんあり、ちょっと道を歩くだけでも戸惑うことが多々あります。そして、道に迷ったり、どうしていいのか分からなくなったりと、どうしても人に聞かなければならない、という状況に追い込まれることも多かったのですが、道行く人に勇気を出して聞いてみると、大抵の場合は皆親切に教えてくれました。異邦人で言葉が通じなくても、身振り手振りで教えてくれたり、苦手そうな英語で一生懸命伝えてくれようとしたり、道に迷った時に、わざわざ聞いた行き先までついてきてくれた人もいました。
そのようなことを思い出しながら、たとえ赤の他人でも、純粋に「困っている人を助けたい」と思っている人が世の中にはたくさんいるんだよな、としみじみ感じ、今更ながらにそのような善意の人達に出会わせてくださった神様に感謝しました。
日本人を含め、世界中の多くの一般庶民は、真の悪人でなければ、多かれ少なかれ心の中に「困っている人を救いたい」という善意があるように思います。ただそれをどう行動に移していいかが分からない人が大半なのではないかと思うのです。現実に、道を歩いていても困っている人に遭遇するというのは常にあるわけではない。
その心に秘めた「善意」を具体的な行いによって、日々示す方法を学べるのがRAPTブログです。
善意ある人たち、そして「困っている人々を救いたい」と純粋に思っている人たちが、RAPTブログに導かれ、まずは有料記事と朝会の配信を読み聴き従うことで、真の意味で自身が救われ、更にその人達が、多くの人を真の意味で救う働きが出来るようになれば、と願っています。
そして、日本人だけでなく、異国の地で困っていた私を善意で助けてくれたような海外の人達も神様の御言葉が記されているRAPTブログに導かれて救われますように、心から祈り求めます。
また、他人への思いやりが全くなく、悪意に満ちた人々、工作員、中国共産党員の裁きと滅びを祈ります。
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