モヤモヤ

まだ頭の中がモヤモヤしています。

特に気になることなどないのに、実生活で具体的になにか問題があるわけではないのに、なぜか、なんとなく嫌な気分が頭の中にあり、気が晴れません。

思い返してみると、以前、まだ信仰生活を始める前も、このようなことがあった気がします。理由が分からないけど、なんだか嫌な気持ちになっている、ということがたまにありました。

そして、そんな時は友人を飲みに誘い、酒を飲んで酔っぱらい、そのモヤモヤした嫌な気持ちを誤魔化していました。
さらに過激な映画を観たりして、現実逃避をしていたこともあります。以前は映画鑑賞が趣味、と言えるくらいたくさんの映画を観ていました。そして観ている時、観た直後くらいまでは、空虚な現実を忘れていられました。

しかし、自身の霊の存在を知った今、それは上辺だけで、根本的にはなにも解決していなかった、と分かります。たとえ肉的考えで解決したと思っても、霊的に解決していなければ、なんの意味もない。そして霊がやられたままで傷を負っているのに癒そうともしないのであれば、そのまま傷跡が残ってしまう。もっと言えば、酒を飲んだり、過激な映画を観たことで、更に追い打ちをかけるように自身の霊を傷つけていた可能性もあります。

このことは信仰生活を始め、しばらく御言葉を聴き従ったのちに悟ったはずだったのですが、いつしか忘れてしまっていて、最近の霊についての御言葉を聴くまで、そのことを意識せずに生活していました。過去の御言葉の重要性について再三にわたって御言葉で宣布されていたのに、それを重要視していなかった、というのもあるのでしょう。

だから、簡単にサタンにやられてしまっていたのだと思います。

御言葉では、酒を飲んで酔っぱらったり、ただ過激なだけの映画をぼんやりと観る、といった間違った解決法ではなく「聖書を読む」という具体的な解決法を教えてくださっています。

更に、聖書を読むことで、それが単なる現状の解決だけでなく、自身が成長でき、未来への希望にもつながるのだから、やらない手はありません。

まだまだ気が付くとモヤモヤしている、ということが多々あります。ですから、それに気付いたらすぐに神様を呼び求めて、神様を意識するようにしています。

そして出来る限り聖書を読むことに時間をさくよう心がけています。これまでも聖書を読み続けてはいたものの、なんとなく後回しにしていた感じがありました。しかしこれも悔い改め、出来るだけ聖書を読むことを優先しています。

とにかくサタンに負けたくない。信仰を奪われたくない。その一心で日々過ごしています。

サタンに打ち勝つためにも、4本の信仰の柱をたて、今後も絶えず神様に意識を向けられるよう、霊肉共に成長していけたらと思っています。

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