感謝の気持ち

仕事が忙しくなると、神様に意識を向けることを忘れがちになってしまいます。

昨日は仕事がとても忙しく朝早くから夜遅くまでほとんど休憩が出来ませんでした。
それでも朝、電車で移動する時間が一時間ほどあったので、その間に聖書を読むことができました。

ローマ信徒への手紙

12-4
わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形作っており、各自は互いに部分なのです。

12-14
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはいけません。

12-19
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」

この辺りで、矢継ぎ早にこれらの聖句が私の中に入ってきて、これまでに無いくらい深く集中して聖書を読むことが出来ました。

そして、その後仕事が忙しくなるのですが、なぜか苛立つことも少なく、逆に色々なことが上手く行きました。

サービス業なのでお客様の接することも多いのですが、いつも以上に対面、電話共に感謝されることが多く、その度にとても嬉しい気持ちになりました。その中の一人は私が配慮したことに対してとてもよろこんでくださって「神様、ありがとうございます」と私の目の前で声に出していました。ついついそのような言葉が出てしまったような感じでしたが、私はその言葉に驚きつつも、とても嬉しい気持ちになりました。
そして、このような嬉しい気持ちにさせてくださった神様に感謝しました。

感謝されると本当に嬉しい気持ちになります。そして嬉しくなって、もっと感謝されるようなことをしたいな、という気持ちになれます。更に嬉しい気持ちにさせてくれた相手に感謝の気持ちが浮かびます。

神様もこんな気持ちなのかもな、と思いました。だから「感謝しなさい」と伝えてくださっているのだと。

そういえば最近、感謝されたり、感謝したくなったり、という出来事が増えたように感じます。

これもハルマゲドンの戦いが終わり、神様がこの世の支配権を握ったことが影響しているのかな? と考えたりして、一人でにやにやしていました。

すると、ふと、その日の朝読んだ「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」という聖句が頭に浮かびました。感謝の気持ちと真逆の聖句がなぜ? と思いましたが、よくよく考えてみると、私はこれまでの信仰生活で、本当にこの聖句とこれに関連する御言葉に助けられてきたな、そして、そのたびに神様に感謝していたな、と思い出しました。

信仰生活以前は、嫌なことがあるとそれをずっと引きずり、その相手にいつか仕返ししてやる、見返してやる、同じように嫌なことをしてやりたい、と思っていました。ただそのことを考えている間というのは、暗くて嫌な気持ちでいっぱいでした。それでも、自身の内面から湧き出てくる感情はどうしようもなかった。

しかし、神の怒りに任せればよい、と思うようになってからは、気持ちが軽くなり、暗くて嫌な気持ちのままずっと過ごすことがなくなりました。嫌な気持ちになっても、すぐに切り替えが出来るようになったのです。

私は信仰生活を送っていく中で、神様に委ねることを知ったため、この「嫌な気持ちでずっと過ごす」という気持ちを忘れつつありました。
しかし、世の中にはこのような気持ちのまま過ごしている人がたくさんいる。そんな気持ちで過ごしたいとは思っていないのに、そして出来れば嬉しい気持ちで過ごしたいのに、なかなかそうはならない。嫌な気持ちというのは自然と湧き出てきしまって自分ではどうすることも出来ない。

それは御言葉を知らないからで、もしラプトさんが宣布する神様の御言葉を知っていれば、ずっと嫌な気持ちでいることもなく、幸せに満ちた日々を過ごせることができる。

私はそれを実際に体感しているのだから、単に喜んで感謝しているだけでなく、まだこのことを知らない多くの人に伝えていかなければならない。

そのような気持ちになりました。

きっと神様が「救われたのだから、救いなさい」と伝えてくださったのだな、と思いました。
多くの人が伝道されて自分と同じような気持ちになれば、皆が神様に感謝し、お互いに感謝しあって、幸せな気持ちになれば、自分自身も嬉しく感じることが増える。

そうやって地上天国が作られていくのだな、と思うと、やはりもっと伝道しなければ。

今後も、神様、ラプトさん、十二弟子の皆さん、そして兄弟姉妹に感謝し、自分自身も感謝されるような人間になれるようになりたい。そのためにももっともっと信仰を深めたい。

そのようなことを強く思いました。

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