祝祭の日

祝祭の日。

私は仕事だったのですが、このところの忙しさとは打って変わり「暇」な日だったので、あえて外回りに出掛けました。そしてわざわざ遠くまで行くことにして、車での移動中はずっと賛美し、途中、行ったことないステーキハウスで肉を食べ(この日は昼食をとることにしました)初めて行ったカフェで休憩し、美味しいコーヒーを飲みながら聖書を読み、常に神様に意識を向けるよう心がけました。

ただ、元々私は霊的に鈍感なため「いつもとまったく違う!」という感覚はあまり得られていませんでした。霊的にも肉的にもまだまだ成長出来ていないのだと思います。日々の生活で、俗的なものが抜けきれていないのでしょう。

ですから、ラプトさんや兄弟姉妹は、どのような「違い」を感じているのだろうか? という思いをいだきつつ、それでも、前日に素晴らしい体験をさせていただいたので、そのことに感謝しながら、一日を過ごしました。

夕方、会社に戻ってからも、ちょっとした報告事項があっただけで大した用事がなかったため、珍しく早めに帰宅できることになりました。

しかし、このまま帰ってしまうと、祝祭の日が終わってしまう、という思いに駆られました。家に帰れば、子どもたちがまとわりついて来て、神様に意識を向けるのが難しくなる。この日は出来る限り、神様に意識を向けていたい。一人で神様と向き合っていたい。たとえ大きな違いを感じられないとしても、神様が祝祭の日と決めてくださったのだから、少しでも長く神様のために過ごしたい。

そのような思いから、そのまま帰宅せず、いつも行くカフェに立ち寄りました。

私は個性才能を伸ばすために、昨日行っていたことの他にもう一つ行っていることがあります。しかし、最近はそのことに関しては停滞気味でした。やる気が起きないというか、やろうとしても集中できず、まったく捗らない。そのため、日々努力を積み重ねなければ、という気持ちとは裏腹に、手を付けない日々が続いていました。

ふと、今日ならそのことが出来るかもしれない、という思いがよぎったため、立ち寄ったカフェで、そのことに手を付けてみました。すると、今までの停滞が嘘だったように、とても集中して作業できました。

久しぶりにそれを「楽しい」と感じ、同時にその感覚を忘れていたことに気付きました。

そうだった! 今日は神様がサタンの妨害から守ってくださっているんだった。

ということは...…これまでサタンから妨害されていた?

霊的に鈍感にも程があります。

私はずっとサタンに妨害されていたのだとその時やっと気付きました。
だから、やる気が起きず、やっても集中できなかったのだ、と。

サタンは分からないように少しずつズラしていく、という御言葉がありました。

おそらく、私はその術中にハマっていたのだと思います。日々、努力が出来ていないことに対して焦りを感じ、自身の不甲斐なさに苛立ち、そして「自分はダメだ」という思いに至ってしまっていた。

個性才能を伸ばすことを楽しんで行える。
これこそが神様が与えてくださっている希望なんだ、と改めて実感しました。

そのような希望に満ちた日々を与えてくださっている神様をもっともっと愛し、感謝し、すべてを神様のために行えるようになりたい。

まだまだ明け方の時間、祈りに集中できない日があります。
二心を捨てきれず、神様を第一に考えられていないことが多々あります。
現時点ですぐに仕事を辞めるというのも難しい。
神様を愛しています、と心の中で言ってはいるものの、実際に正しく神様を愛することが出来ているのかわからなくなることもあります。

考え始めると、自分の出来ていない部分が次から次へと噴出してきます。

お手本として先を走ってくださっているラプトさん、そして十二弟子の方々にも遠く及ばない。

それでも、それで立ち止まってしまっては、引き離されるばかり。

今回の祝祭の日、私は「神様が与えてくださった希望」を思い出すことが出来ました。
同時にサタンからの妨害にも気づくことが出来ました。

今後もこのような喜びと希望を与えてくださった神様とその御言葉を伝えてくださっているラプトさんに感謝しつつ、更に信仰を深めていきたいと思います。

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