引っ越し(不思議なしるし)

 8月29日土曜日の昼飯時、不動産屋の知人から連絡が入りました。

「例の物件、相手方から連絡がありまして、一番手の方との契約も交わし、すでに賃料も支払ってあったのですが、急遽キャンセルになったので借りれることになりました。どうでしょう?」

 6月下旬、現在住んでいる部屋が手狭になったので引っ越しをしよう、と思い立ち、妻に相談して物件を探し始めました。生活環境をあまり変えたくないということで、近場でより広く、そして出来れば今住んでいる場所とは違った雰囲気をもったところがいい、という条件で絞り込みました。
 ネットで見たところ、何件か良さそうなところはあったものの、賃料との兼ね合いがあったり、掲載が長期に渡っているものだと、何かあるんじゃないかと不安になったりで、なかなか「ここだ!」と言える良い物件が見つかりませんでした。それでも、とりあえず二件目星を付けて、不動産屋の知人に連絡し、内覧のアポを取ってもらうことになりました。

 最初の一軒は戸建。住んでいる場所からは歩いて五分程度。2階建て2LDK。築年数も浅く家賃もそれほど高くない。戸建に関しては、妻が「個人的に建てた家に住むのは、思い入れがあるだろうから抵抗がある」と言っていたため、広さと賃料が見合っていても、なかなか内覧にまで至らなかったのですが、その物件は広さも丁度いいし、条件が良かったのでとりあえず見てみることにしたのです。

 不動産屋の知人と現地で待ち合わせて行ってみると、人の良さそうな老夫婦が待っていてくれました。家主さんかな? と思っていたら、不動産屋の方で、この物件は賃貸用に建てたものだと教えてくれました。話を聞くと、賃貸物件として新築で入居者と相談しながら戸建てを建てることがあるのだといいます。
 内覧をしていくと、実際にその物件も所々、通常の物件とは違う場所が見受けられる。例えば玄関の横にトイレがあって、そのまま土足で入れるようになっている、とか、玄関とリビングの間のホールや廊下が無い、といった感じで、実際に使い勝手がいいのか悪いのか良くわからない箇所がある。
 その辺りは住んでみないとなんとも言えないけれど、築年数は十年未満ですし、見た目が新しくキレイで、住宅街ではあるけれど日当たりもいいし、何より家賃が高くない。ここで決めてしまってもいいかな、と思える物件でした。

 その後、そこの内覧を終え、二軒目の物件、マンションに行くことにしました。
 そこは築年数は三十年近くで、古い建物ではあったのですが、場所は一軒目よりも住んでいるマンションから近く、四階建ての最上階で3LDK。建物自体が変わっていて、その部屋は広いバルコニーが付いていたため、どんな感じか見てみたい、と思ったのです。
 最初の印象は「古臭いな」といった感じでした。不動産屋さんの話では、バブル期に建てられたため、昨今では考えられないほど頑丈で、音も漏れないとのこと。ただ豪華に作られたが故にそれが仇となっている感じがありました。それでも見晴らしが良く、開放的で、バルコニーも子供が走り回れるほど広く、更に目の前は児童館に有名なパン屋さん、と良い点が多々ありました。

 とりあえず二軒を見て持ち帰り、妻と相談すると、一軒目は問題点がいくつか出てきました。まず、そこまで重要視はしていないけれど、IHのキッチンで、妻はガスが良かったとのこと。ただそれは希望なだけで、大きな問題ではない。それよりも気になったのが、立地でした。息子はちょうど自転車に乗り始めたところなのですが、家を出てすぐの場所、公園へ続く道が狭い上に交通量が多く、しかも曲がってきているので見にくいのです。更に目の前には溝が深い川が流れていて、大人であれば問題ないが、子供がいると安全ではない。
 数年後であれば良かったかもしれないが、今ではない、という結論に至りました。

 そして二軒目のマンション。条件は色々良かったけれど、やっぱり古くて少し暗い雰囲気がある、という事で、保留することに。

 ただ数日経って、色々と考えたとき、二軒目は「いいな」と思ってきたのです。あまり見たことのない間取りで面白いし、バルコニーがあるから、天気のいい日はベランダでランチも出来る。そしてもうひとつ、このマンションは駐車場が地下にありました。これはポイントとして大きい。というのも、毎晩明け方の祈りのために山に行くため、十二時半頃に車を出し、四時半頃に帰ってくるという生活をしていたからです。地下の駐車場であれば、住民に迷惑はかからない。

 総体的に考えると、そのマンションがベストなのではないかと思いました。ただ、ここは「借りたいです」と言ってすぐに借りれる状態ではありませんでした。実は入居希望一番手の人がいたのです。その人は以前、同じマンションの他の部屋に住んでいたようなのですが、海外に転勤になって、その後帰国する予定のところにこのマンションの空きを見つけ、押さえているとのこと。しかし、コロナの影響で帰国が遅れているので実際に入居出来るかはっきりしないため、オーナーが一応、他にも応募をかけておきたい、という物件でした。
 借りられるかは、その一番手の人次第。それでも可能性はある。とりあえず不動産屋の知人に連絡し、もし一番手の人がキャンセルになった場合はそちらの物件に決めたいと伝えました。

 数日後、返答が来たのですが、一番手の人は借りたい意思が強く、契約を進めていてその月、7月末に9月分の賃貸料も支払い、実際には10月から入居する予定になっているが、もしキャンセルになった場合は、他に話を回す前にこちらに声をかけてくれる、という報告を受けました。

 まずは7月末まで待つしかない。でもその時、なぜかそのマンションを借りられるのではないか、という気持ちになっていました。特に根拠はなかったのですが。

 7月末、不動産屋の知人から連絡が入り、一番手の人からの入金が確認できたため、契約の手続きを進めなければならないが、まだ契約をしてしまったわけではなく、実際に入居するかどうかはっきりしていないので、もう少し待ってほしい、と言われました。それを聞いた妻は諦めモード。私も期待していたようにはいかないな、と思いつつも、まだ行ける気がしていました。

 8月中旬になり、なんの連絡もないため、一応、不動産屋の知人に「現在他の物件も探していますが、そちらがはっきりしない内は切り替えて探すことができないため、もし一番手の方との契約が完全に済んだ場合も連絡ください」というメールを送りました。実際、色々と他にも物件を見てみたものの、どうしてもその異色のマンションと比較してしまい、他にいいと思えるところがなくなっていました。だから可能性のある内は、腰を据えて他を探すことができなかったのです。

 その頃から、私は明け方の祈りの際に「引っ越しを考えているのですが、引っ越したい場所には一番手の方がいて、はっきりしません。もし出来ることなら、その場所に引っ越したいです。駐車場が地下にあるので他人に迷惑をかけずに明け方の祈りに出る事が出来るからというのがありますが、その他にも気に入っている点がいくつかあります。もし神様の御心ならば、引っ越せるよう導いてください。もしあのマンションに引っ越すことができないのであれば、それには信仰生活において悪影響を与えるなにかがあると考えて、神様が導いてくださらなかった、と考えます。その時にはどうか神様、更に良い物件を与えてください」と毎回祈るようになりました。

 数日後、不動産屋の知人から連絡が入ったのですが「確認したところ、すでに契約が済んでいて、キャンセルになる可能性はほぼない」ということでした。妻はほんの少しの希望も絶たれたとがっかりした様子でした。私も流石にここまで来たら無理か、と少し落ち込みつつも、それでもまだ大丈夫なのではないか? と心のどこかで思っていました。もし駄目だったとしても、それは神様の御心なのだから仕方がない。そう考えれば、気持ちも楽になります。そのときは更にいい物件を見つけてくれるのだから、と思えばいいのです。そして、同じように明け方の祈りで祈っていました。

 8月29日、ランチ時に不動産屋の知人から連絡が入りました。スマホの画面でその知人からだと知って、入居が出来るようになったのだろうと直感的に思いました。そして実際にそうなったのです。
 驚きはありませんでした。そうなるだろう、と以前から分かっていたような不思議な感覚でした。私はすぐに神様に感謝しました。これは神様がくださった祝福に他なりません。

 物件をおさえていた一番手の方がキャンセルした理由は想像出来ないようなことでした。
 私はもし借りられることが出来たとしても、それは一番手の人がコロナの影響で帰国出来ず、泣く泣く諦めるか、もしくはオーナーがいつまでもはっきりしない状況に憤り、強行的に私達に決めてしまう、といった感じだと思っていました。しかしこれでは遺恨が残ります。一番手の人が帰国した際に、横取りされたと怒り、場所を知っているが故に嫌がらせをされるかもしれない。そこまでしなくても嫌な気持ちは残るでしょう。
 しかし、その一番手の方がキャンセルした理由は、帰国後に東京勤務になったからだという理由でした。これは想像もつかないことです。この理由であれば、一番手の方は諦めざるをえない。これは、神様が私にこのマンションを借りれるようにするため、遺恨が残らないように取り計らってくださったとしか思えないのです。

 もしかしたら、もっと前から神様は計画してくださっていたのかもしれません。

 私はそれまで住んでいたマンションを手狭には思っていたものの、すぐに引っ越そうとは全く考えてはいませんでした。そのうちに、とは思っていたものの、数年先を考えていたのです。
 しかし、急に引っ越そうと思い立ち、妻に話して物件を探し始めました。見つかったこのマンションに関しては、実際には3月頃から募集が出ていたようでしたが、おそらくその一番手の方がすぐに見付けて押さえていたために、他の方に渡らなかったのではないかと思われます。そして私が興味を示し、決断したところで、一番手の方にキャンセルさせた。

 すべてが神様の導きだったのではないかと。

 不動産屋の知人から連絡が入る直前の明け方、いつも以上に深く祈ることが出来ていました。そしていつもはあまり感じないような感動があり、涙が溢れ出しました。聖霊に満たされたような気になったのです。もしかしたら「引っ越しが出来るように取り計らったよ」という記しだったのかもしれません。

 その後、無事に引っ越しをしたのですが、入居の際、管理会社から「ご迷惑をかけたので、一ヶ月分の家賃をサービスします」という申し出がありました。おそらく、一番手の方が物件をおえるためにすでに支払った分が浮いてしまったからだと思うのですが、神様はそんな嬉しいサプライズもしてくださる。

 引っ越し後の生活はとても快適です。周りに高い建物がないため、部屋のマドから遠くまで景色が見渡せます。
 広いバルコニーでは、キャンプで使う椅子と机を持ってきて、天気のいい日にはのんびりと読書をしたりしています。バルコニーの他に、屋上にも上がれるので、広い空と山々が見渡せて、素晴らしい写真を撮ることも出来ます。
 もっとも、古いマンションなので、水回りの問題があったり、急に給湯器が壊れたり、と問題はありますが、不動産屋に言えばすぐに直してくれるので、それほど気になりません。
 地下の駐車場は、夜中にクルマで出かけても、誰にも迷惑をかけません。
 以前のマンションは、部屋の目の前に駐車場があったので、毎晩出ていくのに多少気が引けていました。妻は(信仰はありません)一応、私の行動に理解は示してくれてはいますが、近所の目が気になっていたようでした。それがなくなっただけで、明け方の祈りに行くのに、気持ちが楽になりました。もっとも数ヶ月前からは歩き祈りがメインになっているので、毎晩クルマを使うことはなくなりましたが、それでもたまにクルマを使って山に行ったりしているので、良かったと思っています。更に、駐車場に関して言えば、雨の日でも濡れずにクルマに乗れるというメリットもありました。

 妻も子どもたちも気に入ってくれていて、何より私もとても気に入っていて、本当にこのマンションに引っ越しが出来てよかったと思っています。ただ妻はここに入居出来たのはラッキーだったと思っているフシがあります。しかし、ここに引っ越しが出来たのは、単にラッキーだったのではなく、神様が私のために祝福として、与えてくださった、と確信しています。そうでなければ、こんな都合の良い偶然が重なるわけがないからです。

 これこそ神様が与えてくださった「不思議なしるし」だと思います。

 実際にこのような経験をすると、信仰生活をしていてよかった、神様を信じていてよかった、と思うとともに、神様に感謝して更に信仰心を深め、神様に恩返しをしなければ、という気になるのです。

 今後もより一層信仰を深め、神様に感謝し、信仰生活を送っていきたいと思います。

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