ここ数日、仕事から帰るのが遅くなり、必然的に就寝時間も遅くなっています。

普段であれば、7時ころには帰宅して夕食を済ませ、風呂に入って、寝るのが8時過ぎ。遅くとも9時には寝ようと思っているのですが、最近は帰宅が9時近くなり、それから夕食、風呂、となって、寝るのが10時過ぎになってしまっています。

明け方の祈りのために起きるのが0時半ころなので、二時間ちょっとの睡眠で起きなければならない。

それでも、自身を高めるために、変わるために、天に富を積むために、なにより、神様の御心を成すために、と自身を奮い立たせて、起きています。

仕事が遅くなったのは、単に肉の自分がそうしているだけなのだから、その責任は自分自身にある。自身の肉の行動のせいで霊に影響を与えてはならない、と言い聞かせているのです。それが出来ないのなら、仕事を辞めるしかない。しかし現実問題として、辞めるのは難しい。それなら、この習慣を維持しなければならない。

そんな思いで明け方を守り、信仰生活を続けています。

昨日の帰宅も遅くなり、就寝したのが10時半近く。0時半に目覚ましが鳴った時には、夢から現実にうまく切り替えられず、なにが起きているのか状況が把握できなくて、結果、目覚ましを消して二度寝。

しかし、習慣で身についているのか、0時45分にもう一度目が覚めたので、そのタイミングで起き上がり、すぐに支度をして「家で祈れるかもしれない」という頭に浮かんできた怠惰な考えをなんとか振りきって、歩き祈りへとでかけました。

以前のラプトさんの対談動画で「ストイックとは言っていない」とおっしゃっていて、そのことについては数か月前にも書きました。ストイックになる必要はないんだ、と。

しかし私の場合はストイックと言わずとも、多少無理をしてでもやらないと、すぐに怠惰な方向に針が振れてしまう気がします。実際、数日前のように、今日は疲れているから、と外に出ずに家で祈ったら寝てしまうのですから、自身に対して厳しくしないと、信仰が弱くなってしまう気がするのです。

不思議なのは、明け方の祈りの後、6時半までの2時間ほど再度寝るのですが、その時には起きるのにあまり苦労しません。そして睡眠時間が少ないにもかかわらず、一日大した眠気もなく、逆にしっかりと祈ることが出来たという充実感で、活力的に一日を過ごすことができる。

御言葉の通り、明け方の祈りを守ることで、力を得ることが出来ているのだと実感しています。

霊的に鈍感な私ですが、自身の霊が活き活きとしているんだろうな、喜んでくれているんだろうな、という気になれ、散々これまで罪を重ねて痛めつけて醜くしてしまっていた自身の霊に、多少なりとも良いことが出来ているのではないか、と思うと、心も満ち足りてくるのです。

私は信仰生活を始める前までは本当に罪深い人生を送ってきました。
ですから、少しでも気を抜くとすぐに罪に引きずられてしまう。

今後も多少無理してでも、明け方の祈りの時間を守り、悔い改め、祈り求め、霊的に成長していきたいと思います。

おすすめの記事