聖書からの引用

先日、信仰から離れそうになったことがあることについて書いたのですが、そのときにペテロの手紙を引用しました。

そこでは「聖書にもありました」とさらりと書きましたが、後から、これは不思議なしるしだったのだと気付きました。

私は聖書のどこになにが書かれているか暗記出来ているほど、聖書を読み込めていません。ですから、ふと思い立った聖句がどこに記されているか、というのが分からない箇所が多い。

この時も、信仰を離れると裁かれる、という意味の聖句があったのは覚えていましたが、どこに書かれていたかは、全く思い出せませんでした。唯一思い出したのは「新約聖書の中の誰かの手紙だった」ということだけです。ただ、手紙はたくさんあるのですぐに見つけるのは至難の業でした。

私はKindleを使って聖書を読んでいて、通常は全く問題なく、むしろとても快適なのですが、パラパラと読み流す、という作業が出来ません。ページを送るにしてもレスポンスが悪く、どこに何が書かれているか調べたいと思っても思うようにいかないのです。

その聖句を探す時も、それが「ペテロの手紙」にあると分かっていれば、目次からそこに飛べばいいだけなので簡単でしたが、それさえも分からない状態では、とても面倒で、すぐに諦めてしまいました。

その後、もしかしたらスマホのKindleアプリからなら、もう少し楽に探せるかも? と思い、その方法に切り替えたのですが、少ししたら眠くなってしまって、ウトウトと寝てしまいました。(仕事の昼休み中でした)

そしてふと目が覚めて「あぁ、寝ちゃった」などと思いながら、握りしめたままのスマホの画面を見てみると、なぜか私の探していた聖句がそこに表示されていたのです。それが「ペテロの手紙2-20」でした。

その時は「これこれぇ」と思いながら、ピンポイントで探していた箇所が見つかったことに気を良くして、意気揚々とその聖句を引用して書いたのですが、その後、なぜ起きたらそこを開いていたのか、とても不思議に思いました。

「誰かの手紙」としか覚えておらず、特にどこかに絞って探したわけでもなく、ただ「見つかればいいな」程度に考えて、流して見ていただけなのに。そして、もうちょっと探して見つからなければ、それはそれで仕方ない、と軽く考えていたのに。

「これこそ、神様からの不思議なしるしだ!」

そう思い、自分の書きたかった聖句の箇所を即座に教えてくださった神様に感謝しました。

同時に、もっと聖書を読んで、思い浮かんだ聖句がどこにあるのか、すぐに把握できるようになりたい、と思いました。

それには、コツコツと聖書を読みすすめる以外に方法はありません。そして単に読みすすめるだけではなく、しっかりと理解し、状況を把握しなければ、どこに何が書かれているか覚えることは出来ない。

なにかを考えたときに、聖書の中の聖句がすぐにピンポイントで思い浮かんだら、日々の生活がもっともっと深いものになる。

「そうか、御言葉で伝えられたことは、こういうことだったのか」と今更ながら悟りました。

今後も、引き続き聖書をじっくり読み進めたいと思います。

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