霊に導かれた?

ちょっとしたことでしたが、霊に導かれたのかもしれないな、という出来事がありました。

今朝、明け方の祈りに行く支度をしているときのことです。

私は明け方の祈りの時間は出来る限り外に出るようにしています。それは、家で祈っていると眠ってしまうことがあるからです。ただ、少し前に、明け方の時間に外に出られない状態に追い込まれたことがあり、その時に家で祈ったらとても深く祈れたので、それ以来、家で祈っても大丈夫かな、と思っていて、多少気持ちに余裕が生まれたのですが、それでも家にいるよりも、外に出た方が自分には向いている、と思い、それからも極力外に出て祈るようにしています。

その大半は歩き祈りです。車で行くときもありますが、歩き祈りの方が祈っている最中に構想を得られることが多い、というのと、車で行った場合、行った先の車内で祈っている最中に寝てしまうことがあるからです。

それでも雨の時や体調がすぐれない時、極端に疲れが残っているときなどは、無理をせずに車で祈りに出掛けています。

昨日、一昨日は歩くルートに大きな神社があり、正月ということで夜中にも参拝客がいるのが予測できたので、それを避けるために、車で祈りに出掛けていました。

その流れで、今朝も車で出かけようとしていたのですが、支度をしているとき、家の鍵がないことに気付きました。

いつも帰宅したら必ず同じ場所に鍵を置くのですが、そこにないのです。

この日は、妻の実家に新年の挨拶に行き、夕食をとって帰ってきたのですが、駐車場に車を止めた時点で息子も娘も寝てしまっていたため、妻と手分けして子どもたちを抱っこし、荷物を持って部屋まで行きました。

そして、確かに私が鍵を開けました。

そこまでは覚えているのですが、その先の記憶がありません。

帰ってから行った場所に一通り行ってみたのですが、そこにもない。(広い家ではないので高が知れています)

コートのポケットの中を何度探してもないし、置き場所の周りにも落ちてもいない。

家の中にあるという確信はあったため、パニックになることはありませんでしたが、5分、10分と探していると、徐々に祈りの時間が削られたら嫌だな、という思いがよぎり始めました。

そして、やっと思い出しました。

この日着ていたコートは、いつも着ていたコートではなく、今季初めて着た違うコートだった! と。

そして、ハンガーにかかっているそのコートのポケットの中を探ると、ありました。

ホッと息をつき、自分のトロさに呆れつつ、いざ、出かけよう! と思ったとき「今日は車で行くのではなく、あるき祈りをしよう」という考えに変わっていました。なぜか分かりませんが、車ではなく歩きで! と変わっていたのです。

そのため、歩くための支度に切り替えて、外に出たのでした。

そうして歩き祈りを始めたのですが、ふとある事が頭によぎりました。

今日の明け方の祈りを、最初に決めた車での祈りはなく、歩き祈りをするよう気持ちを変えさせるために、この一連の出来事が起きたのではないか、ということです。

私が車で祈りに出ようと思ったのは「三が日は参拝客がいるから、出くわしたくない」という理由からです。

しかし、私は1月3日の夜中には神社は開いておらず、参拝客はいない、と知っていました。それは、もう何年も前になりますが、3日の夜中に友人とその神社に参拝に行こうとしたけれど開いてなかった、という経験をしていたからです。それなのに「参拝客がいるから」などという嘘の理由を自分について、歩き祈りではなく車で祈りに行こうとしていました。

根底には「歩き祈りは疲れるし、支度が面倒くさい」という理由があり、怠惰な気持ちによって、車で行こうと決めていたのにも気付いていました。さらに、前日車で行っても深く祈れなかった事実を無視し、嘘の理由で今朝も車で行こうとしていたのです。

それを阻止されたのだと思いました。

神様? それとも自分自身の霊魂?

いずれにしても、ろくでもない私の肉が怠惰な理由によって決めたことに対し「鍵を探す」時間を与えて、歩き祈りに考え直すよう導いてくれたのだと思いました。

おかげで、この日も深く祈ることが出来ました。

もちろん、以前から知っていたとおり、神社の周りは静まり返り、入り口も閉まっていて、参拝客は全くいませんでした。

神様も私の霊も、私の肉的考えはすべてお見通しで、絶対に嘘はつけないな、というのを痛感した出来事でした。

前日も書きましたが、やはり私自身の霊の力が強くなっているんだな、と感じています。同時にどれだけ自分の肉がダメだったのかも感じています。

本当に、どれだけ堕落していたんだ、という思いです。そして未だ、その堕落から抜け出せていない。長年堕落した生活を送り、それが染み付いてしまっているのです。

そんな私の肉よりも霊のほうが正しいのは明らかです。

霊の主張が強くなり、霊の考えていることが分かりやすくなってきている以上、今後も極力霊に意識を向け、霊の意思に従って信仰生活を送っていきたいと思います。

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