私は子供の頃からずっと、友達こそが人生において一番大切だ、と思っていました。
困った時には助けてくれ、孤独感を癒やしてくれるような良い友達を持つことで、幸せで満たされた人生を歩めると信じていたのです。
そして、友達は多ければそれに越したことはないという考えもありました。そのようにしていれば、たとえ誰かと喧嘩をしても、属しているグループ内で嫌われてしまったとしても、他に一緒にいられる人がいる、孤独な思いをしなくていい、という安心感を得ることが出来る、という思いからでした。
よくよく考えれば、それは単に逃げ道を増やしていただけで、自己中心的だった気もしますが、それでも友達を大切にしようという思いは強く、悩んでいたり困っていたりすれば相談にのってあげ、時にはアドバイスをしたりしていました。(何様のつもりだ? という話ですが…)
その後、結婚して子供が生まれてからは、以前ほど頻繁には会わなくなりましたが、それでも友達は絶対に大切にしなければならない、という考えは変わりませんでした。
RAPTブログの有料記事を読むまでは。
そこに記されていたことは、それまで私が信じていた事を根底から覆すものでした。
神様が存在する。そして私達を愛してくださっている。
当初は半信半疑でしたが、有料記事を読み進めていくうちに、それが真実なのだと信じられるようになりました。
それは、なにか疑問に思っても、それに対する答えが、その中から見つけられたからです。
それが真実なのだ。
そのように受け入れて、信じようと心に決めると、それまで抱いていた生きていく上で感じていたなんとも言えないモヤモヤ感がすべて吹き飛ばされ、視界がひらけたような、まさに目が開かれた気持ちになりました。
その吹き飛ばされたモヤモヤの中の一つが「友達が一番大事」ということでした。
一番大事なのは友達ではない。家族や子供でもない。
生きていく上で、一番大事にすべきなのは神様なのだ。
そのように考えを改めた時、それまで浮かんでは打ち消してきた「友達」という存在に対する違和感がはっきりとしてきました。
確かに孤独を感じた時、友達には助けられたけれど、実際にその友達が自分に対してどのような感情を抱いていたのかは分からない。もしかしたら、仕方なく付き合ってくれていたのかもしれない。ある意味、自分は友達を利用していたのだけれど、相手も自分を利用していただけなのかもしれない。
結局は損得勘定だけで成り立っていた関係なのかも。
人の考えていることなど分からない。それなのに自分の都合のいいように解釈して、都合のいいように関係を保っていただけなのかもしれない。
それに、友達だと「弱みを見せたくない」という思いから、本音を打ち明けられなかったり、逆に格好をつけるために本心ではないことを伝えたりしていました。
すべては友達と良い関係を保つために。
ただ、もしすべて本音を相手にさらけ出してしまったら、友達関係は成り立たなくなっていたでしょう。親しき仲にも礼儀あり、というように、お互いに気を使っているからこそ、友達関係が成り立つのだから。
そのように突き詰めて考えていくと、どれだけ友達という存在がいい加減かが分かってきました。ちょっとした一言で、簡単に友達関係は崩れてしまうのは分かりきっていたこと。
そのような不確かで曖昧なことを、人生において一番大事だと信じてきた自分が、どれだけ浅はかだったか、と思い知りました。
同時に、神様にだったら、すべてを素直に打ち明けられることも知りました。
神様は私自身の弱い部分を知っていらっしゃるのだから、強がらなくていいし、格好つける必要もない。
すべてをさらけ出して、悔い改め、祈り求めてすがりつけばいい。
苦しい時、落ち込んだ時、悲しい時、辛い時、心配・不安に苛まれた時に、打ち明けられる相手がいる、というのは本当に救いです。
しかもその相手は絶対的な愛で自分を包んでくださっているのだから、これほどの安心感はない。本心の分からない友達など比ではないのです。
信仰生活を始めてから、友達と連絡を取る機会が極端に減りました。自分から食事に誘うことは滅多になくなりましたし、友達同士が集まる場にもほとんど顔を出さなくなりました。
友達からの誘いも、私が酒を断ったと伝えてからは、なくなりました。
それでも孤独感や疎外感は全くありません。
むしろ、神様のためにもっと時間を費やしたい、という思いが強くなったため、信仰を持たない人、神様を信じようとしない人とは極力一緒にいたくない、という気持ちが働きます。
もちろん、友達を伝道したい、救いたい、という気持ちはありますが、伝道を試みて出来なかった経験から、それならもっと実力を身に着けなければならない、と思い、そうなると「単に友達と会食を楽しむ」という時間は無駄に思えてしまうのです。
いずれにしても、信仰生活を始め、続けていることで、無理をして友達関係を続けていこうという気にはならなくなりました。
孤独感、疎外感から開放される。そして人間関係の悩みも減る。
それだけでも大きな救いだと思います。
この救いを多くの人に味わってもらいたい。
心からそう願います。