私は以前、陰謀論と救いは全く別のものだと考えていました。
陰謀論にハマり始めたのは、9.11のテロの数年後だったと思います。その陰謀を暴いた本を読み、世界を裏で操って悪さをしている奴らがいる、ということを知り、もっと知りたいと思うようになりました。
しかし、調べていく内に、彼らの起そうとしている第三次世界大戦や人口削減、コンピュータチップの埋め込みなどの計画を知り、絶望的未来しかないのではないか、という思考に陥ってしまいました。
そして、今度は救いを求め、スピリチュアルの世界に向かっていきました。アカシックレコード、シャンバラなどの話が主で、地底に住んでいる人が閉ざされた扉を開けて迎え入れて助けてくれる、だとか、宇宙連合が上空に集結していて救い上げてくれる、だとか。空を見上げて楕円形の雲が見えたら、そこにUFOが隠れている、といった話もありました。
一度、そのような話にハマると、同じような本ばかりが目につくようになり、好んでその手の本を読むようになってしまいます。
そうしている内に行き着いた先は「アセンション!」(笑)
当時、私は半ば本気でアセンション出来ると信じていました。(もうそれが騒がれた2012年から十年も経つのですね)
しかし、結局なにも起こらなかった。
それでも懲りずに幽体離脱を試みたり、異次元の世界に行けると信じたり、とにかく現実逃避をしたかったのだと思います。
同時に陰謀論も引き続きチェックしていました。何か自分が救われるための有益な情報が得られると思っていたのです。しかし、得られたのは、災害に備えて備蓄しておいたほうがいい、とか、田舎に移り住んで農業を始めるべきだ、といったことくらいで、真の救いだと思えるようなことはありませんでした。
なにかが起きるかもしれない。
なにかが出来るかもしれない。
漠然とそう思いながら、その「なにか」が見つけられず、それでも「なにかあるはずだ」と微かな希望を求め、日々を過ごしていました。
そうして求めていたからこそ、神様がラプトブログへと導いてくださったのかもしれません。
ラプトブログに出会った時のことは覚えていませんが、いつの間にかブックマークに入っていて、いつの間にか頻繁に訪れるようになり、いつの間にかラプトブログだけを見るようになっていました。
ただ当初は「陰謀論」を読みに行っていただけだったので、まさかそこに救いもあるとは思っていませんでした。素晴らしい陰謀論が読めるサイト、という認識だったのです。
せっかくラプトブログにたどり着いたのに、なかなか有料記事にまでは手を出しませんでした。それは騙されたくない、という気持ちが強かったからです。何冊もの「アセンション」の本をお金を払って買ったのにも関わらず、アセンションは起こらなかった。その経験から、アセンション詐欺に騙された、という意識があったのかもしれません。
とにかく人を騙す奴らに金を渡したくない、という思いが強くありました。
しかし、ラプトブログでは、これだけの陰謀論を読ませてもらって、これだけの情報を得たにも関わらず、一銭も払っていない。有料記事一ヶ月分だったら、単行本を買うよりも安いじゃないか。
そう思って、まずは思い立った月の有料記事を買ってみたのです。
そこには真の救いがありました。
それまで私が求め続けていたものを見つけることが出来た、という思いでした。
なぜ私がすぐにすべてを受け入れて信じることが出来たかというと、それ以前に読んでいた陰謀論が素晴らしかったからです。
それまで、陰謀論の本をたくさん読んでいましたが、矛盾だらけでした。さらに突拍子もないことを、あたかも真実であるかのように書いてある陰謀論にうんざりしていました。その情報はどこから? という疑問に対しては、常にあやふやで、その情報源が信用に値するのかよく分からず、誤誘導目的なのではないか、という物も多く、結局、なにをどう信じていいのか分からなくなって、混乱していました。そんな中でラプトブログに出会い、その矛盾がどんどん取り払われていく感覚を味わっていたからこそ、有料記事に記されていることが真実だと信じることが出来たのです。
陰謀論と救いには深い関わりがある。
陰謀論で語られる悪い奴らとは、神様を敵視するサタンであり、私達が救われないよう、私達を神さまの救いから遠ざけるよう仕向けていたのだとラプトブログで知りました。私達が救われてしまったら、奴らが好き勝手に悪さができなくなる。それを恐れるがゆえに、意図的に陰謀論と救いを切り離していたのかもしれません。
となると、有名陰謀論者も悪者たちの仲間、ということになります。
なにはともあれ、ラプトブログによって、私は騙され続け、不安に晒されていた人生から抜け出すことが出来ました。
まずは陰謀論を知って真実がなにかを理解すること、その上で自分はなにをすべきかを知り、実践することが、最終的に自身の救いにつながるのだと学びました。
その「なにか」が学べるのはラプトブログだけです。
より多くの人がラプトブログに導かれ、まずは陰謀を知り、更に有料記事に記されている御言葉を学び、そして聞き従うようになりますよう、お祈りいたします。