怒鳴られて思ったこと

昨日、見知らぬ人に怒鳴られました。

私は自転車通勤をしているのですが、帰宅途中、さほど狭くない道路で、正面から来た同じく自転車に乗って走ってきている人とぶつかりそうになったときのことでした。

お互いにどちらかに進路を向けようとして同じ方向に行ってしまい、お互いに避けようとしてまた同じ方向に行こうとしてしまう、という、まぁ、自転車に乗っていればよくあることではあるのですが、私も相手も大して速度を出していなかったので接触することもなく、特に危なくもなく、結果的には、ただすれ違っただけで済んだのですが、すれ違ったとき、その相手に「なに●●●●(聞き取れず…)バカヤロウ」と怒鳴られたのでした。

私もとっさに「はぁ?」と言って振り向き、相手もそれに反応して振り向いたのですが、それだけでお互いそのまま走り去りました。

私は一瞬「なぜ怒鳴られなければならないのか?」と怒りが湧いてきましたが、それではいけない、と心を落ち着けてすぐに神様に意識を向け、その事を神様に打ち明けました。

するとすぐ怒りもおさまり、同時に「ただ自転車ですれ違っただけで、他人を怒鳴ってしまうほどの怒りが湧いてきてしまうなんて、普段から相当ストレスが溜まっているんだろう」という思いが浮かびました。

そして、多くの人が大なり小なりそのような感情を心に秘めて日々の生活を送っているのかもしれないな、と思うようになりました。

コロナにかかるかもしれないという恐怖におののき、蔓延防止で行動を制限され、やりたいことも出来ず、会いたい人にも会えず、ワクチン接種後の体調不良に悩まされている人もいるかもしれない。

不満や悩み、不安、心配事を抱え、未来にも希望が持てずにイライラとしながら過ごす日々。

まさに地獄のような毎日を送っている人もいるのだと思うと、その怒鳴ってきた相手に対してさえも同情してしまいました。

自分は本当に救われているんだな。

最近、そう感じることが増えています。
不安や心配事はなく、不満や悩みがあればすぐに打ち明ける相手がいる。そして未来に希望を持って、満たされた日々を送ることができている。

周りの人の不安や苛立ちを感じるからこそ、余計に自身がどれだけ恵まれているかが顕著に浮かび上がってくるように思います。

それは自分がRAPTブログに出会えたからで、もしRAPTブログに出会えず、御言葉を知らないまま過ごしていたら、今も周りの人と全く変わらない日々を送っていたのだな、と考えると、そのように導いてくださった神様と神様の御言葉を日々与えてくださっているRAPTさんへの感謝の気持ちでいっぱいになります。

未来への希望を全く見いだせず、嫌なことがあれば飲みに出て酔っ払って現実逃避をし、休みの日はボケっと過ごし、宝くじでも当たらないかな、などと考えていた日々。

あのような日々には絶対に戻りたくない。

自分と同じように、多くの人がRAPTブログによって救われてほしい。

そのような願いが強くなります。

きっと、昨日すれ違った人も、もし満たされた日々を送っていたなら、単にすれ違っただけの他人を罵倒しようとは思わなかったはず。

多くの人がRAPTブログの有料記事で神様を信じ、神様が私達を愛してくださっていることを知り、御言葉に聞き従い、信仰生活を送ることで救われ、信仰生活を続けることでたくさんの恵みを受け、希望に満ちた幸せな日々を送れるよう願います。

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