山で祈る場所を見付けたときのこと

信仰生活をしていると、あとになって「あの時は不思議だったなぁ」と思うことが多々あります。その時はそこまで不思議だとは思わなくても、あとから、なんでだろう? と思うことがあるのです。

以前も書きましたが、最近の出来事をもう少し詳しく書きたいと思います。

少し前に風邪をひき、歩き祈りが出来ず、クルマで祈る場所に行くことにした日。以前見付けた場所に行ったのですが、そこで寝てしまい、やっぱり歩き祈りでなければダメだ、と思っていました。

しかし、その翌日もまだ体調がすぐれず、仕方なくクルマで出たのですが、その日はなぜか「海へ」という感動があったのです。

それまで「山で祈りやすい場所を見付けたい」という思いが強く、山に行くことばかりを考えていたため、海に行こう、という考えは全くありませんでした。

私の住んでいる場所は山が北に位置し、海は南に位置しているので、場所を探すときはいつも北に向かって走らせていました。ただなかなかいい場所が見付かりませんでした。

海へクルマを走らせたとき、もしかしたら海岸沿いか、もしくは砂浜に祈りやすい場所を見付けることが出来るのかな? と思っていたのですが、結局そんな場所は見付からず、諦めて帰ろうと思ったときに、地元で有名な絶景の見える場所の案内を発見し、そこに向けて行ってみようと思ったのです。
それまで幾度となくその道を通っていたのに、それまではその絶景ポイントへは一度も行こうと思ったことは無かったので、なぜその時、行こうと思ったのか、今考えると不思議です。

途中、不安になるほどの細い道もあったのですが、なんとかその絶景ポイントに到着。
海が見える場所ですから、夜中なので真っ暗で何も見えず、そのまま更に先へとクルマを走らせました。ナビを見ていて、来た道を戻らなくても、どこかに抜けられるな、という感じはあったのですが、それがどこなのかも分からず、とにかく一本道を進み、分岐になると、大体の行先を見る、といった感じで、赴くままに進んでいったのです。

そして見付けた場所。

クルマが停められるスペースが十分あり、しかもクルマは来そうにない。
山の合間からは月や星がキレイに見えて、最高な場所だと思いました。

そして祈ってみると、本当に深く祈ることができ、神様が導いてくださった場所なんだと感じました。

帰り道は本当にシンプルで、すぐに山から降りることが出来、道中のほとんどがバイパスで、辿り着くまでに二時間以上かかったのにも関わらず、三十分弱で家に着くことが出来ました。
ということは、行くのもシンプルで行きやすい。

「海へ」というワードが頭に浮かび、海に向かったときは、まさか山で祈れる場所が見つかるなどとは全く思っていなかったのですが、これもすべて神様がその場所に私を向かわせるための計画だったのかもしれません。

自分であれこれ考えるよりも、神様に身を任せてしまった方がいいのだと改めて感じました。最初は「ん?」と思っても、とりあえず従ってみる。そうすると予想しなかった良い結果になるんだなぁ、と。

これも不思議なしるしだったな、と後から思いました。

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