祝祭の日

祝祭の日。

私は去年同様、今年も一日ドライブをして車内で賛美しながら祈ろうと決めていました。

そして朝、予定通り家を出たのですが、少しすると妻から「自転車の鍵がない」と連絡がありました。

普段、私は出勤等に自分の自転車を使っているのですが、数日前、仕事が休みの日に娘の習い事の送り迎えをした際、子供が乗れる仕様になっている妻の自転車を使いました。それが最後で、今朝、幼稚園へ送りに行く際に自転車の鍵がないことに気付いたのだそう。

そこで一度家に戻り、自転車の鍵を探すことにしました。普段は玄関の鍵かけにかけるのに、その時にはかけなかったらしく、私自身どうしたのか全く覚えがありません。ポケットも見たけど見つからず。鍵がかかった自転車が駐輪場にあるのだから、家かマンションの通路かにあるのは確かなのですが、なぜ見つからない。

仕方なく、スペアキーを出して、私は再度家を出たのですが、すぐに妻から「玄関にあった」と連絡がありました。そこは私が何度も見た(はずの)ところで、なぜ気がつかなかったのか不思議で仕方ありませんでした。

「一ヶ月ほど前の息子の時と似ている」
そう思いました。

妻も同じことを思ったらしく「こないだのデジャブ感」というラインが来ました。

一ヶ月ほど前の事です。
息子がバスのパスカードが入ったパスケースを失くしました。

バス通学をしているので、普段はパスケースをランドセルに付けているのですが、その日は休日で、学校近くの所へ習い事に行くことになっていたのでパスケースを外して持って行き、それから見当たらなくなってしまいました。

心当たりのあるところはすべて探したけれど一週間経っても見つからず、その後使った履歴は無いものの、クレジットカードと紐付けされていて悪用されるとマズいので、警察に紛失届を出して、カード破棄し、再発行してもらいました。

そして、新しいカードが届いた翌日に、あっさりとパスケースが見つかりました。何度も探した場所だったので、なんでその場所にあったのかが不思議でした。

その時と似ているな、と思ったのです。

とりあえず、失くしたものが見つかって良かったな、と思いつつ、その後、クルマを走らせながら、ナナさんの動画と共に賛美していたのですが、ふと「この一連の出来事は何を意味するのだろうか?」という思いに駆られました。

似たような事が立て続けに二度起き、しかも一度は祝祭の日に起きた。

どういうことなのか、と思いをめぐらしていると、自身の信仰生活について思いが及びました。

私はこのところ、というか、今年に入ってからずっと、明け方に深く祈れない日が続いたり、個性才能を伸ばす努力ができなくなってしまったり、以前のように証が書けなかったり、と思うように信仰生活が送れていませんでした。

そして、それに対する後ろめたさのようなものがあったのでしょう。あまり神様に自分自身の問題や悩みに関しては打ち明けていなかったように思います。

いつしか自分自身のことを祈ることに罪悪感を覚え、兄弟姉妹のためや、まだ救われていない人が救われるため、そして、工作員や悪人、サタンの滅びを祈らなければ、という気持ちばかりが強くなっていました。

ですから、一か月前にパスケースがなくなった時も神様には祈り求めず、自力でなんとかしようと試みていました。

そして今回も。

ただ、前回と今回では大きな違いがありました。それは、今回は祝祭の日ということもあって、ずっと神様に意識を向けていたということです。

だから今回はすぐに見つかったのではないか。

パスケースの時は、結果的に見つかったものの、パスカードを失くしたことで、その時にチャージしてあった金額を失い、更に再発行料を支払わなければならず、すぐに見つからなかったことで損をしたのですが、もし神様に祈り求めていたら、その問題をすぐに解決してくださって、損をすることもなかったかもしれない。

そこまで考えたところで「もっと神様に、依り頼みなさい」という言葉が頭に浮かびました。

以前の御言葉で、自分のことばかりではなく、まだ救われていない人の救いや悪の滅びを祈るように、とおっしゃっていましたが、だからといって、自分のことを祈ってはいけない、とはおっしゃっていない。それなのに、私は卑屈になってしまい、いつしか神様に自身のことをあまり祈らず、依り頼まなくなってしまっていたように思います。

そのような私の状況を私自身に気付かせようとして、このような二度の経験をさせてくださったのかもしれない。

そこまで考えると、急に胸が熱くなり、涙があふれ始めました。

問題が生じたり、不安や心配事があったなら、神様に依り頼めばいい。

そのことを改めて悟ることが出来ました。
同時に神様の愛を感じました。

この気持ちを忘れず、神様に感謝し、私が神様にして差し上げられる事を模索しながら、今後も信仰生活を送っていきたいと思います。

祝祭の日の夕暮れ時、去年同様、今年も海岸に行きました。そこで目の前に広がる真っ青な空と真っ白な雲、そして青々とした海面と真っ直ぐ引かれた水平線に感動しつつ、これらを創造してくださった神様に感謝しました。

神様に出会えて本当に良かった。

心からそう思えた一日でした。

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