コロナに関する不安からの解放

友人知人に陰謀論を話す機会がなくなったなぁ。

最近、そう思っていたところでした。コロナ禍において、友人知人と直接会って話す機会が極めて少なくなった、ということもありますし、自分から食事などに誘うことがなくなった、というのもあります。それでも以前はSNSで情報を伝えたり、電話で話をしたりしていたのですが、最近はそのようなこともほとんどしていませんでした。

陰謀論を話しづらくなった、というのも理由のひとつです。
以前、陰謀論の話を聞いてくれていた友人知人の多くが、コロナワクチンの危険性も伝えていたのにも関わらず、打ってしまっていたことで、これ以上伝えても、単に打ってしまったことを後悔させ、嫌な思いをさせてしまうだけだろう、という思いがあって、伝える気になれない。

結局、彼らにとっての陰謀論は単なるエンターテイメントで、自分自身の人生に深く関わっているという危機感はなく、もし何らかの影響があると感じても、それに対してなにも出来ないと諦めてしまっているのだと思います。

以前は、私もそのような考えでした。そして、友人知人に陰謀論を伝えていたのは、単に「俺はこんなことを知っているぞ!」と自慢して「すごいね」と思われて注目を集めたいという思いがあったからです。

しかし、ラプトブログに出会い、他の陰謀論者とは全く違った視点から暴かれた陰謀を知り、その陰謀に対して自分自身はなにが出来るか、どう「悪」に対抗できるかを有料記事や朝会の配信で学び、それが出来るように努力し始め、実際に漠然とした不安から解放され、希望に満ちた充実した日々を送れるようになってからは、単なる自己満足で友人知人に陰謀論を語るのではなく、最終的には自分と同じようにラプトブログに記されている神様の御言葉にたどり着き、聞き従うようになってほしい、という願いを込めて陰謀論を伝えようという考えに変わり、そう心がけてきました。

とはいえ、突然「神様」や「キリスト教」などの話をすれば、警戒され、人によっては嫌悪感さえ抱かれる可能性もあったので、慎重に言葉を選んで話していました。実際、少しでも「神様が…」という話をしただけで「あっ、宗教か、俺には関係ないから」と聞く耳を持たず、反射的に拒否反応を示す友人知人も何人かいました。

ですから、とりあえずラプトブログを教え、有料記事まで読むようになってくれれば、と願うことはしても、直接伝道することに関しては消極的になっていた感も否めません。

そんな中、御言葉で「これからは陰謀論を伝えるよりも人々を救いに導くこと」について話してくださり、それによって自分自身の今後の姿勢を切り替えようと思いました。

これまで陰謀論を伝え、ワクチンの危険性についても伝えていたのにも関わらずワクチンを打ってしまった友人知人に改めてラプトブログを教えたとしても、おそらく有料記事の御言葉にはたどりつかないでしょう。たとえ御言葉を聞いたとしても、ワクチン接種に関しての内容で辛くなり、聞き従うことが出来ない可能性が高い。

それよりも、まだワクチンを打っていない人に、いかに伝道出来るかを優先的に考えていったほうが良いのではないかと思うようになりました。

まだワクチンを打っていない人の多くは(少数ではありますが)単に、ワクチンを打つのが怖い、副反応が怖い、得体のしれないものを打つのは嫌だ、といった警戒心があるだけで、確信的ではない。そして様々な「危険だ!」という情報を得て「絶対に打たない!」と決めている人でも、今後強制的に打たされるかもしれない、打っていない人は社会から排除されるかもしれない、という恐怖感に苛まれているように見えます。

ネットで広がっている反ワクチンの内容は「ワクチンを打つな」と言うものの、それ以上のことが示されていない。

単に「打たなくてよかった」と思えるだけで、なんの解決にもならない。そもそもコロナワクチンは打たないけれど、それによってコロナにかかるのは怖い、と考えている人も多い。
コロナ自体が嘘なのに…

ラプトブログの有料記事や朝の祈り会では、そのような社会でどうやって生きていくか、希望と喜びに満ちた日々を送れるようになるか、が記されています。

御言葉に聞き従えば、不安になることもなくなる。

今、コロナワクチンを打たないことで不安に苛まれている人の不安を取り除くためにも、御言葉に導いてあげなければ。

より多くの人が、ラプトブログやRAPT理論+αにて正しい情報を得て真実を知り、有料記事、朝の祈りの会に記されている神様からの御言葉に聞き従い、信仰生活によって今後の人生を素晴らしいものに変えられるよう、心から願います。

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