ストイックではなく

ここ数日、明け方の祈りのために起きた後、その日は歩き祈りか、それともクルマで山へ行って祈るか、ぎりぎりまで考えて決めるようにしています。

最近では歩くにしろ、山に行くにしろ、どちらも深く祈れるようになってきているのですが、山に行く方が体力的には楽なので、なんとなく「楽な方を選んでいる」という罪悪感が出てしまっていました。
しかし動画でのお話で「ストイックって言っていない」とラプトさんが仰っていて、ハッとさせられました。

私は、大変な方を選んだ方がいい、という固定概念みたいなものがあり、楽=怠惰、だと思っていた節があります。
しかし歩き祈りをしても雑念ばかりで深く祈れないときがあります。そして、その時も普段どおり疲労感はあるので、それだけでやった気になってしまい「今日も祈った!」という安心感を得ていたような日もあるのです。
ですから、一概に大変だからいい、とは言えない。

重要なのは深く祈ることで、大変な思いをすることではないのだと、以前から分かっていたようで、しっかりと悟れていませんでした。

それでも、歩き祈りは確実に眠気に勝てる、という魅力があり、それ以前、眠気に負けてばかりいた私にとってみたら、大きな希望となったので、やはり歩き祈りを軸にしていきたいとは思います。
しかし、神様がみちびいてくださった場所までクルマで行って祈れば、寝ることもなく、深く祈れるのだから、その回数を増やしてもいいのかな、と最近思い始めました。

私の場合、様々なことを祈り構想を得るのには歩き祈り、ひとつのことを集中して祈りたいときはクルマで山へ、といった感じで固まりつつあるので、その日その時の状況に応じて決めていきたいと思っています。

「どちらが大変か」が重要ではなく「その日に何を祈りたいか、何を祈るべきか」を重要視していきたいです。

写真は数日前に行った海岸です。
フラットアースを意識していると、景色も違って見えてきますね!

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