老後

知人との会話の中で、彼の父親の話が出ました。

その知人は三人兄弟の次男なのですが、皆家を出ていて、同じ市内に住んでいる知人の彼以外は遠く離れたところに住んでいるそうです。母親は亡くなっているので、父親が一人で実家に住んでいて、その知人がたまに実家に様子を見に行っていると言っていました。

彼の父親は企業を勤め上げた後に定年退職し、今は年金でのんびり過ごしているそうですが、特に趣味もなく、大抵は朝から酒を飲み、暇つぶしにパチンコに行って、あとはテレビを観て過ごしているそうです。

その話を聞いて、なんともいえない気持ちになりました。

悠々自適、といえばそれまでですが、あまりにも寂しすぎないか、と思ってしまったのです。その知人は私と同年代なので、おそらくその父親であればまだ70代でしょう。人生はあと十年以上、長生きすれば三十年あります。その間ずっとそのようにして、ただ時間を潰して生きていくのか。

どちらかというと、男性の方が女性よりも老後の過ごし方が下手な気がします。女性は積極的に新しいことを始め、様々なイベントに参加している一方で、男性は新しいことを始めた、という話はあまり聞きません。逆に奥さんが先立たれた後、ゴミ屋敷になってしまったり、すぐに後を追うように亡くなったり、という話ばかりが目立ちます。

男性はプライドが邪魔して、なかなか新しいことが出来ないのかもしれません。「今更そんなことできるか」という思いが強い気がするのです。

事実、私は御言葉に出会うまで、新しいことを始めよう、と思ったことはあっても、実際に始めたことはありませんでした。

子供の頃は様々な習い事をしていました。そして色々なことに興味があって、とにかく手当り次第やっていたように思います。しかし飽きっぽい性格からか、どれも続かず、結局身にならないまま大人になりました。

そして「あの頃からずっと続けていれば良かった」と常に悔やみながら過ごしていました。続けていれば今頃スゴイことになっていたかもしれないのに、と。

思い返してみると、すでに二十代の頃にはそのような思いを抱いていた気がします。もしそのように思ったときに始めてずっと続けていれば……

しかし、考えるのはいつも過去のことで「じゃぁ、今から始めよう」という思いには至らず、たとえ始めてみたとしても、すぐにやめてしまいました。

なぜかというと、なにかを新たに始めようと思った時、また、子供の頃にやっていた事を再びやろうとした時、そのことでプロになれるのか? 大金を稼げるのか? という考えが浮かんでいたからです。そして、子供のころからずっとやり続けていた人には敵わないだろう、もともと才能のある人には敵わないだろう、という思いにかられ、結局、それじゃ、やっても無駄じゃないか、という結論に至っていたのでした。

逆に、別にプロにならなくても楽しければいい、時間つぶしになれば、趣味として、などと安易な考えで始めてみても、しばらくすると「何のために?」という疑問が湧いてきて「金にならないのなら無駄じゃないか」という結論に至ってやめてしまう。

結局、なにも身にならないような娯楽に溺れ、その場その時が良ければいいか、などと考えて、毎日を適当に過ごしていました。

ラプトブログに出会い、御言葉を学んでいくにつれ、そもそもの目標設定が間違っていたことを知りました。

金や名声を目標に定めさせることで、到底無理だと思わせ、やる気を削ぐ。

それが、私達一般庶民の個性才能を伸ばさせたくないサタンの思惑だったと後にラプトブログで学んだのですが、その術中にすっかりハマっていました。

すべては人の救いのため、神様のため。

ラプトブログの有料記事で御言葉を学んでからは、金や名声ではなく「伝道」を目標設定としてなにかを始めて伸ばそう、という考えに切り替えました。そして自分の力だけではなく、神様が助けてくださるから絶対に実力が身につくと信じるようになりました。

そのような信仰心の中、実際に始めてみると、それが心の底から楽しいと思えるので続けられ、そうしているうちに、少しずつではありますが上達していると実感し、それによって、より一層やる気が湧く、という充実感に満ちた日々を送れるようになりました。

このような日々をずっと送れるのなら、きっと老後と言われる時期に差しかかっても、決して失望せず、ただ死ぬまでの時間を消化するだけの毎日を送るような生活をせずに済む。

これこそが希望です。

お金の心配はもとより、たとえお金があったとしても、心の底から楽しいと思えるようなことがなければ、すべてが虚しい。
たとえ子供がいて孫ができたとしても、彼らを生きがいにしたところで彼らには彼らの世界があるのだから、いずれ孤独を感じることになる。
たまに妻と旅行したところでたかが知れている。

そのような老後を過ごすことにならないためにも、今からコツコツと努力を重ね、上達する喜びを感じつつ、目標に向かって今後も信仰生活を続けていきたいと思います。

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