ケーキ屋さんから学んだこと

先日は娘の誕生日だったのですが、妻が近所にあるケーキ屋さんのケーキを頼みたい、ということで、一か月ほど前に誕生日のためにホールケーキを予約していました。

そのケーキ屋さんは個人でやっているところなのですが、ホールケーキは週末のみの販売で、すぐに予約が埋まってしまう、という人気店のようで、以前にも一度、何かのお祝いで食べたことがあるのですが、すぐに予約が埋まってしまう、というのが頷けるほど美味しかったのを覚えていました。

当日、妻が引き取りに行った際、ケーキを受け取る時にその店の方が「とても楽しかったです、ありがとうございました」と言っていたそうです。そう言われた妻は「本当にケーキを作るのが好きなんだな、っていうのが伝わってきた」と言っていました。

実際、ケーキはとても美味しくて、感動してしまいました。他にも美味しいケーキ屋さんはありますが、感動するほど美味しいケーキというのはあまり出会えません。

やはり好きで楽しんで作るもの、というのは人を感動させられるのだな。

そのケーキを食べて、そう思いました。

もちろん技術が伴わなければならないのですが、技術があっても機械的、義務的にやっても感動させられるようなものは作れない。楽しんで喜びに満ちた状態で作れば、その楽しさも喜びも伝わって、人を感動させられるのだと。

そう思ったとき、私は11月11日の祝祭の日に思い出させていただいた個性才能を伸ばす楽しさに関して、足りない部分があったことに気付きました。

ケーキ屋さんが感動するほどのケーキを作れたのは、ケーキ作りが好きで楽しんだ、というのがあったのでしょうが、その先に「自分の作ったものがお客様に喜んでもらえる」という思いがあったからだと思います。

自分はただ楽しむために個性才能を伸ばしているのではない。伝道するために個性才能を伸ばそうと努力しているのだ。そして伝道したいと思うのなら、人々を感動させるほどにならなければならない。

人々を感動させるほどになるためには、単に楽しむだけではなく、その先の伝道された人の喜び、そしてなにより神様の喜びを思いながら取り組まなければならない。

そのことをケーキ屋さんの発言、そしてそのケーキ屋さんが作った感動するほどのケーキを食べたことで、気付きました。

私が伝道されて、信仰生活を始め、信仰を続けているのは、ラプトブログで陰謀論を読み、その素晴らしさに感動し、更に有料記事や朝会にて配信し続けてくださっている御言葉に今も日々感動し続けているからです。

感動するほどのものを作らなければ、伝道はできない。

これまでの信仰生活で伝道の難しさは身にしみて感じています。それでも多くの人に伝道したい、という思いは失うことなく、むしろ以前より強くなっています。

今後も個性才能を伸ばすために努力し、いつか人を感動させられるようなものを作り出して、多くの人に伝道できるようになりたいです。

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